戦後 中国・中共軍の虐殺と侵略行為
1949年 東トルキスタン侵略、占領(ウイグル大虐殺)、民族浄化継続中
第四次南京事件(後述)
1950年 大躍進、文化大革命3000万人大虐殺開始
1950年 朝鮮戦争参戦
1951年 チベット侵略、占領(チベット大虐殺)、民族浄化継続中
1959年 インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領
1969年 珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突
1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
1974年 ベトナム、パラセル諸島(西沙諸島)を軍事侵略、占領
1976年 カンボジア、クメール・ルージュによる大虐殺を強力支援
1979年 ベトナム侵略(中越戦争)、中国が懲罰戦争と表明
1988年 スプラトリー諸島(南沙諸島)を軍事侵略、占領
1989年 天安門事件
1992年 南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言
1995年 フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領
1996年 台湾総統選挙恫喝、台湾沖にミサイル攻撃
1997年 フィリピンのスカーボロ環礁の領有を宣言
1997年 日本の尖閣諸島の領有を宣言
2003年 スーダンのダルフール大虐殺を強力支援
2005年 日本EEZ内のガス資源を盗掘
戦前 南京大虐殺は実は中国自身がやらかしていた
1 第一次南京事件(大正2(1913)年)
張勲軍が南京に乱入し、城内の民間人に対して
虐殺、強姦、略奪を行った事件
2 第二次南京事件(昭和2(1927)年)
国民党の国民軍が騙し討ちのような形態で南京
に入り込み、
城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。
3 第三次南京事件(昭和12(1937)年)
南京に陣取った国民党軍が、
日本軍がやってくるからと城内で
虐殺、強姦、略奪を行った事件。
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(戦後)
4 第四次南京事件(昭和24(1949)年)
中共軍が南京を制圧し、資本家らを襲い虐殺、
強姦、略奪を行った事件。
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なんのことはない、「南京大虐殺」は中国、彼ら自身がやらかしたことを「日帝が」と置き換えただけのこと。
第一次と第二次の南京事件では日本人も殺害されています。
以上に関しては「ねずきちのひとりごと」さんが、詳細にわたって検証していらっしゃいますので、更に突っ込んでお勉強なさりたい方はどうぞ。
【付記】拙ブログでは、時々「文化人の皮をかぶった非国民」のリスティングを行なっていますが、
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/cdf8404493a5fea50f22d664dfcef02d
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/4c2de36a0acad15ea5609b8c6b874a9b
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/51662673e1aaa5e36f3ff2358c192912
今日はそこに渡辺淳一の名を付け加えたいと思います。
もともと下卑た作風の、男女の情痴で稼ぐ売文屋ですが最新号の「週刊新潮」に聞き捨てならないことを書いています。日本軍による南京大虐殺はあった、かもしれない・・・・と書きつつ、いつしか「あった」かのごとく結論づける卑怯な書き方です。
「当時の生き残り者は皆無」だから殺戮された人数はわからない、という書き出し。「わからない」が前提です。
ところがいきなり、
「当時の南京市内の様子を想像すると身の毛もよだつ」と書きます。
「想像すると」です。一国の名誉がかかる事象を「想像」で論じる軽薄さ。わからない → だから想像する。 → 身の毛がよだつ
「その時、勝ち誇った日本軍は南京市内に入城した」
・・・「勝ち誇った」とはなにが根拠なのだろう? 最初から悪意のメガネで書いています。
「将校も兵隊も食うや食わずで、ようやく南京に到着して一気に解放されたのだろう」
・・・解放されたことがなぜ、強姦や食料強奪に即なってしまうのか。当時、日本軍に食料が不足していた事実はないし、逆に中国の避難民たちに食料はおろか、タバコなどという嗜好品まで配っています。写真や動画で残っています。
わからない → だから想像する → 想像の結果が身の毛もよだつ略奪と暴行(この思考形態の何たる稚拙さ)
「まして南京のような大都市にはさまざまな食物があり、美しい女性たくさんもいたに違いない」
「〜に違いない」とここでも想像です。あの当時の南京に食料が潤沢であったという事実はないし、南京に美女が多いという論旨は、いったいいかなる資料に基づくものか? ここでも想像という名の妄想です。
妄想は更に飛躍して、殺戮されたのは「三十万人をゆうに超えていたかもしれない」と結論付けます。
「かもしれない」つまりは、ここでも根拠を全く欠いた想像です。
当時の南京市の人口さえ調べずにこういうことを書く。人口以上の殺戮はあり得ないと言われているというのに、(たぶん)日本人である渡辺淳一氏がわざわざ殺戮人数を増す無責任さ。
この、三文作家の世迷言をこれ以上検証する気にもなれませんので、途中を飛ばします。
渡辺淳一は、その想像に基づく「大虐殺はあった論」をこう結論づけます。
穏やかで常識溢れる日本人の中にも悪魔になる血が秘められている、と。それゆえ「南京大虐殺の記念館は、そのための教訓だと思えば、とくに騒ぎ立てることもないと思うのだが」
・・・・・この阿呆な結論をいちいち解説する気にもなれません。読者はお解りですね?
こんな頭の悪い無責任な文章を書き散らす売文屋がベストセラー作家として存在しているのですから、日本の民度も相当落ちているのかもしれません。
文筆家としての能力以前に、史実を自ら調べることもせず想像で書き散らした駄文で金銭を得るその根性のさもしさ。
事実を知らぬ読者に「南京大虐殺はあった」とすり込む罪の深さ。
文化人の皮をかぶった非国民リストに林真理子の名を挙げたことがありますが、その林が尊敬するのがこの売文屋・渡辺淳一ですから似た者同士なのかもしれません。
日本軍にお菓子やタバコの配給を受け、喜ぶ中国人。