朝夕冷え込んで参りました。皆さまお風邪など召されませんように。
本日は、ある頭と性格の悪い一組の夫婦のお話です。
頭の悪さと性格の悪さはおうおうにして同義ですが、妻のほうは明日
取り上げるとして、本日は夫のほうです。
今上陛下は、実質的に高卒です。
高卒が頭が悪いという論ではないので、誤解しないでくださいね。
宮中において、まやかしが行われているという話と、頭脳鋭敏とは遠いお方が
いっぱし、日韓友好へと半端に動かれ、慰霊に引っ掛けた日本国毀損行動と発言、左翼連中と一緒になっての九条護持発言が不当なので、記述します。
平和憲法護持発言は、九条堅持主張と同義です。
その頭脳鋭敏とは言いがたいお方が「クレバーだがワイズではない」妻と共鳴し合って、典型的に頭の悪い市民運動家夫婦並みになりおおせています。
愚かしさもここに、極まります。
「クレバーだがワイズではない」とは要するに地頭が悪いということを、婉曲に言ったのだと、つくづく理解した昨今です。
優等であれ愚鈍であれ、いずれにしても、天皇の政治的発言も行為もまずいです。まして平民あがりの(敢えて)皇后ごとき(敢えて)が国家に関わる憲法や歴史認識に関わるご発言など、思い上がりも甚だしくもってのほか。
自らが堅持を主張する平和憲法に違背していることが解らぬほど、両者頭脳が機能していません。
李明博は、政権末期、Legacy(過去の遺産)づくりと退任後の身の保全のため、竹島に不法上陸し、天皇陛下に侮辱発言を行ったのは報道の通りです。
しかし、天皇侮辱発言の前提として、天皇陛下から李明博へ働きかけがあったことが、日本ではさして知られず、またことの重大さに気づかぬ国民が圧倒多数なのです。
李明博はその著書にこう記しています。
天皇陛下が2012年12月、別所駐韓大使を通じ、「日韓相互の友好関係が深まることを望む」との立場を李大統領に伝達して来た、と。
無論、李明博の著書に真実が書かれているという保証はありませんが、しかしこの重大な記述に対して、別所駐韓大使からも宮内庁からも抗議と訂正要求はなされていません。
これに対してすら、思考停止保守は天皇陛下に政治的発言はない、と突っぱね見ないふりを決め込むのですが、実際にあるものが、見なければ消えるというものではありません。
天皇の政治発言は現実です。平和憲法護持発言やら、戦後の知日派の米国人に感謝発言やら。サイパンでゲリラ的に、朝鮮人の慰霊碑を参拝なさったのも、政治的行動以外の何物でもないではないですか。
これも、思考停止保守がいかなるレトリックを用い擁護するか前もって解りますが、牽強付会です。戦後70年間の日韓問題をベースにした文脈では、参拝自体が政治的意味を持ちます。
象徴天皇制において、天皇の職務は、国事行為を行うことに限定され(第7条)、内閣の助言と承認を必要とする(第3条)。国政に関する権能を全く有さない(第4条)。
政府の反対を押し切ってのパラオ慰霊など、憲法違反に限りなく近い行動でしょう(慰霊自体の否定ではありません)
天皇陛下は憲法擁護を主張なさりながら、その言動は憲法から逸脱していらっしゃることにお気づきでありません。
象徴天皇制における天皇が、君主であるか否かは議論が存在していますが、拙ブログでは三島由紀夫と政府の見解を支持します。
三島由紀夫は、19世紀的意味での立憲君主制ではなくなったが、憲法第一条に天皇に関する記述があることを根拠に、「一種の君主国」だとして日本を捉え、また政府も「立憲君主制」と言っても差し支えない、と歯切れは悪いながらそれは肯定しています。
現在の日本の不運と悲劇は立憲君主であるお方とその伴侶が、日本国毀損の左翼市民運動家夫婦と変わらぬ思想をお持ちのことです。
そして、昭和天皇の御代までは「ならぬものは、はなりませぬ」と、お諌めする忠臣がいたのに、現在は皆無。むしろ小和田恒とう自虐史観の主、それが放つ創価勢力と外務省自虐史観者勢に取り囲まれておいでです。
国民が声を上げるしかない、困った状況なのです。
そして声を上げれば、思考停止自称保守が「不敬」とパブロフの犬的条件反射で石投げてくるのが現在です。
国民の声が十分に高まらねば、行政の長は動けません。ヤフオク事件に関しても然りです。
1953年(昭和28年)3月30日から同年10月12日までの半年余りにわたり、初の外遊。ヨーロッパ12か国およびアメリカ・カナダを歴訪。
学習院在学中の、半年間海外は異常です。学業について行けないそのことへの、苦肉の糊塗であったかと思われます。
エリザベス女王戴冠式への、昭和天皇名代参列をくっつけることで、学業中の長期海外をごまかそうとしたのでしょうが、無理ですね。かえって、他の必然性のない旅行が際立ちます。
以下は私見ですが、GHQの占領が終わったのがこの前年の1952年ですが、彼らが埋め込んで行ったウィルスが最も強く増殖している時期だったので、半年もの西欧遊学は、洗脳教育の総仕上げの意味もあったかもしれません。
学業不良によるごまかし策であったところに、GHQ勢力(日本側)が相乗りした可能性。
まだ「リメンバー・パールハーバー」の声が生々しい頃に、わざわざ剣呑なハワイの浜辺に立たせたり。戦後まだ8年目です。
いずれにしても宮内庁では「外遊の結果」学習院大學の単位が不足、と発表。長年の学友たちと学年が異なることを忌避するため、以後は「聴講生」として学問を続け「教育ご修了」としていますが、こんなけったいな説明、納得出来ます? 「外遊」の必然性は皆無でしょう?一言で言えば「落第」なのです。
現皇太子の寄付金を積んでのオックスフォードでの「聴講」と同義でしょう。
戴冠式なんて、数日間で済むのに半年間! それに英国とのお付き合いから言えば、本来昭和天皇皇后両陛下がお出ましが自然。
学習院の授業に「ついて行けなかった」が真相でしょう。現皇太子もそうです。下から2番目の成績で陰での密かなあだ名が「ケツに」。実は一番下で、さすがにそれはまずいので、架空の最後を置いたかもしれません。
頭脳は生まれつきで仕方がないです。ただその乏しい頭脳で、韓国との友好やら韓国への謝罪など、勝手に動いて頂くと困るのです。
「先祖は朝鮮人」発言も、思考停止保守は言い訳して擁護しますが、頭が普通に動けば発言の結果は読めますよ。韓国国民が鬼の首でも取ったように天皇の祖先はウリの国ニダ、と言い募ることぐらいは。
SEALDsの連中が顕著ですが、平和憲法護持、九条堅持を言い募る連中の知能の程度をかねがね疑っていましたが、要するに彼らは頭が悪いのです。それに尽きるのです。馬鹿に選挙権を与える悲劇。思慮浅きを自覚せぬ輩が辿り着く愚論。衆愚の形成者たち。
まともな思考力があれば、即座の原発廃止やGHQ憲法護持が、なぜ日本にとって悪しきことなのか解りますね。議論の余地もないほどに明白なことです。
少年期のさなきだに頭脳が乏しいところに、GHQのA級戦犯死刑執行を用いた残酷なほどの恫喝とバイニングによる洗脳とに、すっかり染まったところへ、日本国民にとっては実は不幸の源であったカトリック左翼をGHQの奸計により伴侶にあてがわれ、その伴侶の浅慮と共鳴し合って、現在の有り様でしょう。
皇室の温存と、その反面の弱体化施策はGHQ以前のOSSで決まっていたのではないかと思われます。皇室を日本弱体化のツールとして使うことも。
⇒OSS http://hidemichitanaka.net/column/single/110727/
何度も書いていますが皇室のことをあげつらう、という意識はなくただ、闇を見つめることはそこに光を当てることだから、書いています。
誰でも若い頃は多かれ少なかれ「チャラ男」の部分はありますが、それにしても・・・今更ですが・・・・こんなふうだったんですね・・・・・。
皇太子の頃の、チャラいしゃべり方を動画で見ていただきたく探しているのですが、今のところ見当たりません。美智子さまのほうが明晰で、これでは鼻面掴んで引き回されるであろう、と思われるていのものです。「女優」美智子さまの可憐を装う演技力もこの頃がピークです。
→ 読者様より教えて頂きました。
http://www.dailymotion.com/video/x2ovvjq
負のほうの遺伝子はこちらへ来て、足の長さ含め優秀な部分は秋篠宮殿下に行かれたかな?
名前を裏返しにつけた、赤ふん。
拙記事に、不快な方もいるかと思いますが、これが現実です。
そこから派生しての皇室弱体化なので、触れざるを得ませんでした。
ここまで踏み込んで書くしかない状況になってしまいました。
備考
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news2/1321502434/
「皇太子への憂鬱」から抜粋(現在、絶版のようです)
やがて、彼を“象徴”と呼ぶ日の憂鬱を友人に語ると笑われた。
「それはお前がまだ関心がある証拠だ。いまや、おれたちには、彼にそんなことを感じることもない。無関心でいろ。その方が気が楽だ」
大宅壮一は生前、天皇、皇太子の職業論にふれて「天皇や皇太子は国家や民族のマネキンである」とたとえた。
私が皇太子というマネキンに衣裳を着せるなら、“マイホーム”という衣裳しかない。
BB注;結局、現皇太子における家庭第一主義は今上陛下発だったのです。注意もなさらず、放置なさっているはずです。かつての、自分の姿なのですから。
皇太子の女性週刊誌的疑似庶民像には、もう飽き飽きした。
皇太子という四十二歳になる男性は、“妻の持参金”で食べている。
だが、その“貯金”はもうなくなりかけていることに、周辺は気づいていない。
そこに、不人気の原因と皇太子の不幸がある。これはある宮内記者の指摘だ。
貯金とは、金ではない。いわゆる“ミッチーブーム”といわれた、結婚のイベントである。
皇太子はあの馬車行列の日の、マスコミの興奮ぶりや沿道の拍手と日の丸が、
国民の間にいまも続いていると考えているのではないか。
「国民と共に歩むのがこれからの皇室である」という。
だがあれだけ広い御所に住んでいながら、記者会見で「殿下お住まいはいかがですか」とたずねられると、
「せまくて困る。もっと増築してもらいたい。物置が混んでせまい」と答えられたと聞き、私は耳を疑った。公人たるもの、物置まで口にすべきではなかろう。“マイホーム文化の模範”も限度がある。
こういう皇太子の言動に接すると、かならず対比されることばがある。
「父・陛下は絶対にそんなことをおっしゃらない」というのだ。
(中略)
「今上天皇のお人柄と比較するのが気の毒なので、とびこえて大正天皇とくらべればいい」という意見が出る。
天皇は侍従の名を呼びすてになさる。皇太子は「さん」をおつけになる。にもかかわらず、
陛下の方がはるかに温かくていらっしゃるという声がある。
(池田潔博士御進講のエピソード)
陛下は幼稚な質問から突っこんだ質問まで、身をのり出してなさる。
終わると「池田、ありがとう、ありがとう。今日はおもしろかった」と持ち前の大きなお声でおっしゃり、廊下まで出て見送られる。 いっぽう皇太子は、棒をのんだようにストンとしておられ、ご進講が終わると「池田さん、ありがとう」と、スッと立ちあがってしまわれる
甘露寺受長(元侍従長)が著書に書いている。「陛下のおそばには、いつも笑いがたえない」と。
皇太子はどうかというと、残念ながらそれがおありにならない。学友は「殿下とは馬鹿話ができない。非常に利口で、間違っていることがあるととことんまで指弾し、やりこめないと気がすまない」
BB;「非常に利口」は皮肉だと読みました。「利口」は本来あの時代にはとりわけ、皇族に対して用いる言葉ではありませんから。
「皇太子の現状に、はっきりと危機感をもっている宮内庁某関係者に“そろそろ浩宮に帝王学が必要なのではないか”というと、“いや必要なのは、皇太子です”」
宮内庁の幹部が「皇太子さまは、あまり他人の意見に耳を傾けられるほうではない」ともらしたが
バイニング夫人の著書『皇太子の窓』にもこう評されている。
「公的な人物にとっては実に大きな財産となる、あの愚者をもよろこんで寛容する能力を、殿下はどうやら欠いておいでになるように見受けられる」
BB;庶民流に翻訳すれば「ケツの穴が狭い」ということでしょう。上品に言い換えれば「思考に柔軟性がない」、つまりは頭が悪い。
皇太子は世継の皇子としての環境の中で、当然のことながら“優者”としての意識を持っている。
それがときに、自分よりも能力のある人間に対して、不快に感じる性癖があったようだ。
バイニング夫人の著書に「殿下は自分よりも英語のできない友人をつれてくる」という意味の記述がある。
BB;セコイ…‥‥料簡の狭い性格の一端を実に明瞭に表現されてしまっていますね。自分よりも能力のある人間に対して、不快に感じる性癖は、美智子さまも同じ。だから皇太子妃として、最適な女性を退け、カスを入れました。似た者夫婦。破れ鍋に綴じ蓋。
学友は「殿下は負けずぎらいで、敵に勝ちをゆずる余裕はない。相撲でもテニスでも、自分が負けると思う相手と組むのは、いやがった。 スポーツマンシップは心得ているのだが、感情の面でおさえられない」と指摘している。
BB:完膚なきまでとはこのこと。頭が悪い上に性格も良くない、と最も素顔を身近に知る人々の評価です。
「感情を出さない生活をしている皇太子が、実に口惜しそうにする。それで、友だちもいやになる。四十にもなって子供っぽくこだわりすぎる。あの性格は小さいときのままだ」
BB:現在の皇太子が天皇に即位したとて、立派になるわけではなく、そのままの器で天皇になってしまうという証左がこれでしょう。
時代が変わったものの、侍従はいつも、「父・陛下のようにおなりなさいませ」と耳にタコができるほど御教育申し上げた。 そう言われれば言われるほど皇太子は、学友の見るところ、
「私は、新しい時代の新しい天皇、新しい皇室を目指すのだ。父・陛下は、天皇という制度の中に埋もれた人間だ。私は違う、私は天皇陛下のような生き方をしないぞ」という気持ちになるのも、また自然と言えよう。
BB:「新しい天皇と皇室像」は現在の皇太子の主張でもあります。愚かしいことです。天皇に新しさなど求められてはいません。日本国の連綿たる伝統の継承こそがそのあらまほしき姿です。
皇太子は、旧憲法下の天皇という偶像を、青年の心で打破し続け、その当面の思想が個人生活では
「憲法で保障された両性の合意による結婚」であり、結婚後は、育児を中心とする家庭革命に顕著にあらわれているのである。
BB:ほとほと情けなくなりますね。「育児を中心」として、現在の箸にも某にもかからぬ不出来皇太子。
(ご成婚)当時の『毎日グラフ』
井口道生(皇太子同窓)
とにかく皇太子はご婚約が決まってからは、非常に決断力が強くなられた。
その反面、ひとのいうことをあまりお聞きにならなくなったようです。独断的なところが出てきました。
自信があることと、独断的なこととは違うと申し上げているんですが、特に美智子さまのおっしゃることになったら、絶対ですね。
とにかく、すこし自信過剰気味です。それでも前に比べれば、ずっといいです。
全然自信のなかった時にくらべれば、過剰気味でも、いまの方がずっといいという意味です。
松本千世(美智子妃同窓)
美智子さまの方は、ご婚約なさってからは、独断的なところがなくなって、なんでも“殿下にうかがうわ”といってらっしゃいます。
BB:「なんでも殿下にうかがうわ」という時期から「なんでも言うことをきかせるわ」となった転換点が、昭和大抵の崩御でしょうか。あるいは、夫の操縦術の一つであったかもしれません。確実に言えるのは、頭の悪い夫婦でも妻のほうが夫よりは頭の巡りがよかった、とこういうことでしょう。いつしか配下に置いてしまいました。
学友の橋本明は、例の増原長官問題のとき<皇太子も同じだな>と感じた。つまり「言っちゃうと切られる」のだ。
皇太子の耳に痛いことを直言する士が遠ざけられるのと同じように、<長官も同じ手口でほうむられたな>という思いである。
皇太子と「東宮」は「直言すると切られる雛型で、むしろその傾向がたくましく育った」
女性誌は“ミッチーブーム”以来「皇太子ご一家」が目玉商品であった時代が続いた。怒らせては商売にひびく。
そこで宮内庁へのもみ手編集となった。官僚は、弱者に対して天性の表情を発揮する。そういう力学の中で
「皇太子殿下はよき夫、よき父」「美智子妃殿下はお美しく聡明な」というマイホーム像が根を張り(以下略)
BB:愚直なほどに国民はマスコミの作り上げた像を信じこみ、いまだその「後遺症」が尾を引いています。
かつては小泉信三、安倍能成がいた。彼らは参与として殿下にも言うが、長官や大夫にも面を冒して進言した。
宮内庁も新しいことをやっても責任を小泉さんに転嫁できた。今はそれがないので、宮内庁は煙たい人がなくなって羽をのばせるかわりに
うっかりしたことができない。ご結婚にしても、小泉さんがいたからこそできたことで、すべての“罪”は小泉さんがかぶった。(浜尾)
(施設訪問)
「何か温かい気持ちが生まれ、希望の芽が吹く」施設の職員は
「せめて一日中ずっと見ていただかないとおわかりにならない」、「ご夫妻が来られたといっても、あくまで視察ですからね」と言葉を濁し、せめてよかったことといえば、せいぜい皇太子のためにいままで凸凹道だった道路が、瞬く間に舗装されたことをあげる。
BB;余りにも現在の皇太子夫妻の心のこもらない形ばかりの視察と、似通いますね。ここでも原型(アーキタイプ)は、今上陛下と皇后陛下なのです。両陛下の深々とした被災地のお辞儀も結局、フェイクであったことが、バレ始めています。
(浜尾)
「ああ、あの人は殿下にとってぜひとも必要なバックボーンを持っている人だ、長くつきあってほしい友達だ、直言してほしい友達だと思う学友はだんだん離れていく」
皇太子を“疑似庶民”と規定したのは、山科宮家の出である評論家、筑波常治である。
筑波は、皇太子に対するさらに深い絶望感から、ある結論をいう。「いまの天皇で天皇制を廃止するか、さもなければ、次代の天皇は京都御所に居を移し、一切の疑似的市民生活から隔離するしかない」
BB;秋篠宮両殿下の存在がなければ、現在もこういう世論が優勢を占めていたでしょう。率直に言えば今の天皇と皇后と皇太子皇太子妃ならカネ食うばかりで「要らない」存在に成り果てています。
昔の天皇は貧乏のただなかでただ皿数だけをそろえ、腐った鰯を食べながら、ひたすら古代文化を守ることを業とした。
今の天皇は、庶民から見ると痛ましいご努力だが、その「痛ましく大変なこと」をやってきた。それが無言の権威となり、理論的には戦争責任者だが、共産党でも威圧を受け、国会開会式で人が人を拝むことを拒否して天皇の前を横にあるいた松本治一郎にさえ「制度と人間は別だ」と言わせる
親しみとディグニティをもっている。
皇太子には京都御所の権威も人間としてのリーダーシップも感じない。 ただ支えているのは、平民と恋愛結婚をしたというイベントと、その延長線上の、生活面での疑似庶民というキャンペーンである。
だが、庶民と同じだという人間が、わずか10メートルの小道を赤じゅうたんの上を歩き、警官の挙手の礼に迎えられて御所に帰る。 ならばそういう疑似庶民ぶりをやめて京都御所に帰るべきだ。
BB;運動会では特別席を断り、一般席を要求、その実東宮職に朝から並ばせて列を取らせ、写真撮影は父兄には条件付き、自分は撮影し放題、と一般の扱いを要求しながら同時に特別扱いを当然のこととなさる。これも今上陛下が雛形だったのですね。
筑波は、さもなければ大百二十四代天皇が亡くなったときをもって廃止がよい、今なら皇太子も一市民として暮らせる、という。
BB;いまだ秋篠宮両殿下の存在がない頃の意見です。
さまざまな皇太子観の中で、もちろん擁護論もある。
(橋本明・浜尾実)
だがこういう声は、まことに少ない。宮内記者が、もっとも平均的な現状をいった。
「天皇がお元気な間はまだいい。もしものときにはどうなるのか。これは大変なことになるぞという危機感は、少なくとも宮内庁本庁の心ある人士の中にはある。
BB;事実大変な状況になっています。
『皇太子ご一家をよろしく』とスピーチでいわせたのも、
そういう心理だろう」皇太子は天皇になったとき、その一挙手一投足が全部さらけ出る。そのとき、彼自身の“人より卓越した資質”で天皇でいることができるのか。 それとも単に“息子”というパスポートでその地位にいるのか。救いようはあるのか。
ひょっとしたら皇太子は、結婚のときのまま、ストップモーション・フィルムになってしまった自分を意識していないかもしれない。 やがて天皇になれば、父親と同じように注目されると思っているかもしれない。 もしそうだとしたら、皇太子もさることながら、国民も不幸だ。
そして“国民と共に歩む”という信条の中に、あるできごとを思い出し、割り切れぬものを感じてしまう。
昭和四十八年春、皇太子ご一家はスキーに行くはずだった。ところが勤労ストの混乱で、皇太子はスキーを取りやめた。
だが子供たちは、宮内庁や東宮職の官用車で出かけた。パトカーに前後を守られ、行く先々の沿道に警官が出てものものしく警備をする。途中の役場で弁当を食べ、トイレを使う。
役場の職員たちは清掃にかり出される。同じ日の新聞には、足を乱された国民の怒りが大きく報道されている。
これが国民と共に歩む姿なのか?
さすがに疑問を感じた宮内記者が東宮大夫にただすと、有能な旧内務官僚はこういう考え方だったそうだ。
何が悪いのです。あの方々は存在そのものが公的なのである。公的な方の旅行に公的な機関が便宜を図るのは当然です。
BB:詭弁ですね。スキーが公的営為でない以上、この論法は成り立ちません。セックスを公的機関の立ち会いのもとで、やりますか? と言い返せば論破です。
オーストラリア・ニュージーランド旅行をした皇太子夫妻に同行した記者が、憂鬱なる土産話をしてくれた。
皇太子に関する記事はウェリントンでは大きく報道されたものの、概して現地の新聞報道は小さかった。
なにしろ、この前皇室外交のしにせ英国のエジンバラ公が来たとき、ロールスロイスでしない見物をしている途中で急に、「ちょっととめてくれ。あの市電に乗りたい」といい、市電に飛びのって市民と笑い合ったそうだ。
これはあきらかに演出であろうが、そういう演出をする知恵と勇気に、新聞は大きく報道をした。
BB;サイパンで予定外の朝鮮人の慰霊碑参拝などの演出はしてくださいますけどね。喝采より胸が悪くなるばかり。
その前例があるだけに、日本国皇太子はいかにも書きようがない。
ある日オーストラリアの記者が皇太子をさし、「彼に趣味はないのかね」
日本人記者が「いやテニスと乗馬は結構やるよ」と答えた。
「おう、わが国は乗馬の国だ。テニスはデビスカップのチャンピオンがいる。うちのチャンピオンとやろうじゃないか」
記者たちは皇太子にその事を進言し「やれやれ」とけしかけた。やれば一面トップ記事になる。
もちろん負けることは分かっているが、「汗を流してやった」若さと意気を感じるだろう。
記者たちは「今日は・・・明日は…」と期待していたが、皇太子は「遊びに来たのではない」と答えた。
皇太子のこういう律義さと頑固さはときにはマイナスである。
BB;律儀と頑固さではなく、頭の悪さです。
皇太子が「存在そのものが公人」であることの特権を受けるならば、反面の“ノブレス・オブリジ”も果たさねばならぬだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで
女性自身2015年10月20日号
御学友激白!
美智子さま“70年の祈り”が砕け散った「いちばん長い日」
安保法案に御名御璽
陛下「人生初めての挫折だった!!」
これが事実なら、ご自身が護持を主張なさる“平和”憲法第四条違反です。
日本国憲法第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
橋本氏の発言が仮に事実ではなかったとしても、政治的言動は憲法違反です。なぜ政府はそれをお伝えしないのでしょう。パラオ行きにしろやらせ放題で甚だ危険です。
大日本帝国憲法の時の天皇の皆様方と思想を軌を一になさっていれば、
天皇主権へと戻っても良いくらいですが、天皇陛下はGHQからの刷り込み教育と恫喝に加え、“カトリック左翼”ともいうべき皇后陛下の独特の感性と合い響きあって、あたかも左翼運動家夫婦です。
ご主張なさる内容と知能レベルは、SEALDs並み。
以上です。
参考サイト
h ttp://blog.livedoor.jp/royalfamily_picture/archives/2015-02-08.html
(抜粋)今上は頭が悪かった
だからクレバーなリベラル嫁に丸め込まれた。
・・・・・・・・・・
BB;クレバーなら良かったのですが「ワイズではない」。賢くはなく、現在のていたらくです。しかし随分早く気が付かれていた人がいるのですね。
拙ブログ主は「そんなはずがない」というお定まりの先入観で自発的に、視界を遮っていました。皇后陛下に対しても同じです。ただそれを恥じる気にはなれないのです。国民として「最後の最後まで両陛下を信じておりました」という表白と共に。
ご紹介のサイトには、昭和天皇にさえ足らぬ点は具申申し上げる忠臣がいたことも示しています。困ったことに今上陛下と共に、皇后も人に注意されることが、大嫌いどころか言われたことを根に持ち仕返しをなさることは、浜尾侍従の例で明らかです。
注 本コメ欄の姓名欄にUnknown表示のコメントは読まずにハネます。
無造作な「あ」や「通りすがり」も受け付けません。発言に最後まで責任を持つという意味で、きちんとした固定HNをお持ちの上、ご参加ください。
理路を通した反論は歓迎です。ただ、それに対する反駁は覚悟の上でどうぞ。
論戦はブログ主以外が、応戦すること多々あります。ブログ主でもない者が
反論して来ると、不服を漏らされる人がいますが、いつぞや瞬間アクセス画像を
お見せしましたがそれなりにアクセス数が多いブログで、ブログ主が長文記事連打の中、
全員対応は不可能です。http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/8d2d57b589519df92f6cf0539cc128a0
固定の長期読者が多く、ブログ主と思考と主張をほぼ同じくする方々も多いのです。
代わりに答えて頂くことも多くあります。