朝から今にも雨滴をふりこぼしそうな青灰色の空の下、
JR,都営新宿線と乗り継いで40分、九段下へでかけました。
参道の銀杏並木は黄金色。
特攻服や軍服を着てラッパや旭日旗を手にした
老齢の一団に目が行きます。
皆さまご高齢のせいだけではなく総じて小柄であることに、
ある思いが胸をよぎります。
そうだった、あの時代の日本人は小柄だった。
こんな小さな体で六尺豊かな白人たちを相手に闘いを
挑んだのか。せつない感慨が胸を濡らします。
遊就館の展示の中の軍服もそういえば、比較的小さい。
べべこにちょうど合うくらい。
あの戦を身で知る人のご参拝も、としどしに少なくなってきているという。
お約束の同志と落ち合い、同志のお一人のお手配で
昇殿参拝が叶い、初めて靖国の奥深くに請じ入れられます。
森閑とうねる廊下に沿って幾つかあるお部屋の一つで、
とびきりおいしいお茶と小さな干菓子をいただきました。
冷えた手のひらに湯のみ茶碗のぬくもりを感じながら
防人たちの掌にも、この小さなぬくもりを届けたいと
思いました。
天井が高く、椅子は布張りで御前会議はこういうお部屋で
行われたのかな、などと思いを巡らすうち、昇殿の時間です。
屋内の手水舎で小さく禊いで神殿の内懐深くへと静かに
歩を進め静寂のうち神気がひたひたと身を包みます。
後でどなたかが小さくつぶやいた。(鳩山も菅も来ないのではない、来られないのだ・・・)と。
そうかもしれない。この澄みきった厳しいほどの清浄の気、不浄のやつばらには
耐え難いかもしれない。
さしたる悪さをしてはいないべべこも、ある種の微かな恐怖を感じています。
浮世にまみれたおのれの不浄を顧みざるを得ない。
ご神殿の鏡はさだめし、おのが穢れを写す鏡でもあるのでしょう。
いつしか雨。軒端から氷のきらめきで滴り落ちるしずくに
目をやりながら、時代を経て拭き清められた廊下を
進みます。雨音は玉砂利に吸い込まれてほのか。
これは和の音でしょう、世界のどこにもない。
神寂びた静寂の音、静寂自体が伝え来る響き。
近隣は焼夷弾で火の海になったとか、しかし焼けずに残ったという
本殿のおごそかな佇まいに、改めて襟を正しながら、
ああ、ここは神域なのだ、と魂に感じつつふいに
直観します、どなたかが神事・祭祀を行わなくなった時、天皇家は滅びる。日本は潰える。
神道はこの日本の精神の背骨、その最大の祭祀者たるは,すめらみことにおわす。
祭神へと至る廊下を渡れぬ帝は帝足り得ぬ。
日本国は天皇をいただかねばならぬ、最大の祭祀者として。
象徴? まやかしだ。かつての敵国に押し付けられたまやかしの
呼称に惑わされてはならぬ。
玉串奉納。楽曲も、金襴の袈裟もない簡素。
飾りもこけおどしの権威もない。
神のおん前にただそれぞれの魂があるのみ。
かねてよりの持論だけれど、教祖、経典(バイブル)、本尊と三つを
揃えて宗教となる。
神道は宗教ではない。「神」へと続く、それは「道」なのだ。
清々しい参拝を終えて遊就館へ。
防人たちの写真のお顔のそれぞれに胸をつかれます。
生きて誰かを何かを愛した人たちがいた、死んだ。
それだけの事実のなんと重い。
朝鮮の、台湾の方々もいます。等しく日本のために戦ってくださった方々。
いえ当時は同胞でした。
植民地として日本は苦しめたのだという。
しかしながらいかなる支配国が自らの戦に植民地の人々を入れ高官に
取り立てるものか。当時、朝鮮も台湾もまさしく日本だった。
日本は日本として彼の地を敬い愛し、日本国民として相対した。
それぞれの筆文字の、流麗端正なこと。気韻の高きこと。
これらの防人たちが、なんで残虐非道を行うものか。
文章からうかがう精神性の高さ、これを二十歳そこそこで。
戦後、いかに日本人の精神性がじわじわと壊されてきたことか。
命の短さが彼らを短期に成熟の秋(とき)に向かわせたのだとしても。
死を真っ向から見据えて生きる日々がくっきりと色濃いとしても。
泪、胸のうちにほとばしる。こらえても、防人たちの想いひしひしと押し寄せ
見送った父の、母の、妹の悲しみ、魂の扉を叩き続け、嗚咽を
耐える。
ここは日本人の魂のふるさと。
蛮族に、侵させてはならぬ。
参拝を終えて外に出た時は、雨なお降りしきり神殿は煌々と
灯りに照らされてありました。
JR,都営新宿線と乗り継いで40分、九段下へでかけました。
参道の銀杏並木は黄金色。
特攻服や軍服を着てラッパや旭日旗を手にした
老齢の一団に目が行きます。
皆さまご高齢のせいだけではなく総じて小柄であることに、
ある思いが胸をよぎります。
そうだった、あの時代の日本人は小柄だった。
こんな小さな体で六尺豊かな白人たちを相手に闘いを
挑んだのか。せつない感慨が胸を濡らします。
遊就館の展示の中の軍服もそういえば、比較的小さい。
べべこにちょうど合うくらい。
あの戦を身で知る人のご参拝も、としどしに少なくなってきているという。
お約束の同志と落ち合い、同志のお一人のお手配で
昇殿参拝が叶い、初めて靖国の奥深くに請じ入れられます。
森閑とうねる廊下に沿って幾つかあるお部屋の一つで、
とびきりおいしいお茶と小さな干菓子をいただきました。
冷えた手のひらに湯のみ茶碗のぬくもりを感じながら
防人たちの掌にも、この小さなぬくもりを届けたいと
思いました。
天井が高く、椅子は布張りで御前会議はこういうお部屋で
行われたのかな、などと思いを巡らすうち、昇殿の時間です。
屋内の手水舎で小さく禊いで神殿の内懐深くへと静かに
歩を進め静寂のうち神気がひたひたと身を包みます。
後でどなたかが小さくつぶやいた。(鳩山も菅も来ないのではない、来られないのだ・・・)と。
そうかもしれない。この澄みきった厳しいほどの清浄の気、不浄のやつばらには
耐え難いかもしれない。
さしたる悪さをしてはいないべべこも、ある種の微かな恐怖を感じています。
浮世にまみれたおのれの不浄を顧みざるを得ない。
ご神殿の鏡はさだめし、おのが穢れを写す鏡でもあるのでしょう。
いつしか雨。軒端から氷のきらめきで滴り落ちるしずくに
目をやりながら、時代を経て拭き清められた廊下を
進みます。雨音は玉砂利に吸い込まれてほのか。
これは和の音でしょう、世界のどこにもない。
神寂びた静寂の音、静寂自体が伝え来る響き。
近隣は焼夷弾で火の海になったとか、しかし焼けずに残ったという
本殿のおごそかな佇まいに、改めて襟を正しながら、
ああ、ここは神域なのだ、と魂に感じつつふいに
直観します、どなたかが神事・祭祀を行わなくなった時、天皇家は滅びる。日本は潰える。
神道はこの日本の精神の背骨、その最大の祭祀者たるは,すめらみことにおわす。
祭神へと至る廊下を渡れぬ帝は帝足り得ぬ。
日本国は天皇をいただかねばならぬ、最大の祭祀者として。
象徴? まやかしだ。かつての敵国に押し付けられたまやかしの
呼称に惑わされてはならぬ。
玉串奉納。楽曲も、金襴の袈裟もない簡素。
飾りもこけおどしの権威もない。
神のおん前にただそれぞれの魂があるのみ。
かねてよりの持論だけれど、教祖、経典(バイブル)、本尊と三つを
揃えて宗教となる。
神道は宗教ではない。「神」へと続く、それは「道」なのだ。
清々しい参拝を終えて遊就館へ。
防人たちの写真のお顔のそれぞれに胸をつかれます。
生きて誰かを何かを愛した人たちがいた、死んだ。
それだけの事実のなんと重い。
朝鮮の、台湾の方々もいます。等しく日本のために戦ってくださった方々。
いえ当時は同胞でした。
植民地として日本は苦しめたのだという。
しかしながらいかなる支配国が自らの戦に植民地の人々を入れ高官に
取り立てるものか。当時、朝鮮も台湾もまさしく日本だった。
日本は日本として彼の地を敬い愛し、日本国民として相対した。
それぞれの筆文字の、流麗端正なこと。気韻の高きこと。
これらの防人たちが、なんで残虐非道を行うものか。
文章からうかがう精神性の高さ、これを二十歳そこそこで。
戦後、いかに日本人の精神性がじわじわと壊されてきたことか。
命の短さが彼らを短期に成熟の秋(とき)に向かわせたのだとしても。
死を真っ向から見据えて生きる日々がくっきりと色濃いとしても。
泪、胸のうちにほとばしる。こらえても、防人たちの想いひしひしと押し寄せ
見送った父の、母の、妹の悲しみ、魂の扉を叩き続け、嗚咽を
耐える。
ここは日本人の魂のふるさと。
蛮族に、侵させてはならぬ。
参拝を終えて外に出た時は、雨なお降りしきり神殿は煌々と
灯りに照らされてありました。