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昭和の節度、平成のイチャイチャ。皇室はなぜ格落ちしたか。 《転載可》

皇室関連の批判記事を書くと、このところ執拗な嫌がらせが現れ、だいぶストライクゾーンに入ってるみたいなので、またアップします。嫌がらせ1回につき、関連記事3倍書く方針です。ありがとうございます。

さて本文。

 

プライベートな空間だから、本来なら目を伏せて見ないようにする光景ですが、
この方たち、国民の前でもベタベタなので。

以前ならこれも「仲がおよろしくて」と思ったのでしょうが、天皇皇后のお立場で自虐左翼史観の運動員になられたことを知るに及んで、見る目が厳しく変わったかもしれません。

 

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こちらが、昭和の皇室の距離感でした。

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平成は、“対等”に並ばれ皇后陛下は天皇陛下と同じ大きさと高さで、手を振られる。

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何かを勘違いなさっているような?
私的空間では「夫」でも、公の場では「お上」と仰ぐべきお方です。

そうなさらないと、国民の天皇陛下への敬意も下がります。

なぜ世間一般の夫婦と違い、男が上なのか。祭祀王だからです。
そして、祭祀あっての皇室なのです。

昭和では、「妻」である皇后陛下さえこれだけ、けじめをつけられ仰いでいらっしゃる、とそれが国民の心にも影響します。昨今の皇室の矮小化はゴシップ的に報道するメディアにも責任はあるでしょうが、皇后の天皇に対する姿勢にもその一因があるのではないでしょうか。

皇太子妃があたかも芸能人のような扱いを始めたのも、美智子妃からでありそれはメディアとそれを喜んだ国民の責任でもあれば、それに答えるように奇抜な衣装やヘアスタイルで、モデル立ちでポーズを取って答えてきた美智子様にも、責任はあるのではないでしょうか。天皇陛下から半歩下がって、慎ましく地味にお振る舞いになっていたら、現在の状態には堕ちていなかろうと思われます。

 

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お手振りは天皇陛下より低く、小さく。これが昭和の常識。

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皇后が天皇を差し置いて前面に、というしじゅう見る光景。
私生活における本当の“主従関係”が、ふと出るのでしょう。

こちら(下の画像)が、国民が安心して拝せる両陛下の距離です。この距離感が即ち節度であり、それは国民への両陛下からの礼儀ではございませんか?

おそらくお互い言わず語らず阿吽の、自然な間隔であろうかと思われます。

 

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香淳皇后は天皇陛下にどの道をどの方向へ行こうと問われても、「お上のよろしいように」と半歩下がって歩かれていらっしゃいました。それゆえに、国民も天皇陛下をひときわ高い位置に、拝見していられました。

今は、美智子様のGHQメンバーベアテ・ゴードンの唱える男女同権主義とやらで、天皇と皇后が対等に。・・・・というより、じわじわと皇后が実権を握り、今宮廷ヒェラルキーの頂点に君臨されているのは、女帝美智子様。天皇が侍従のようです。

女帝故に、男子一系・万世一系は皇后には片腹痛く、皇太子の第一子、愛子さまを天皇として擁立することを、強く主張。
皇室のなんたるかを、お解りでないまま入内されそのまま晩年をお迎えになりつつあります。夫である前に、国民の天皇陛下であると心得られ、「お上」とお呼びし奉り、天皇陛下のお話の間には頭を垂れていらした、香淳皇后。

昭和天皇ご在世の間は低頭していたのに、崩御された途端、新天皇陛下とはまるで意地のように肩を並べて歩かれ、お話の間も天皇陛下にくっつくようにして、頭を上げ続けていらっしゃる皇后陛下。

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おまけに手は朝鮮式コンス。こうした「崩れ」がじわじわと宮中と国民の心を蝕んで数十年が経過しました。香淳皇后の全身で畏まったご様子と比べると、美智子様の「なにさま?」状態が如実です。我(が)の強いお顔。思えば入内前、娘時代の「たおやか」や気品とは無縁の表情の写真が複数残されています。

 耶蘇女子、九条擁護の赤き皇后までの道のり 《転載可》

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香淳皇后がカメラを前にご自身の存在を出来るだけ消そうとしていらしゃるのが、よく解ります。美智子皇后は、逆ですね。前に、前に、私が、私が。
「見て子」様という世間のニックネームが言い得て妙かもしれません。

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いつしかそれが皇室の流儀として定着。雅子妃も、皇太子の先に立ってお歩き、車では下座に平然と乗せています。皇太子もヘラヘラ唯々諾々と従って、自らの妻である前に皇太子妃であれ、とは仕込まないのでしょう。お子には「パパママ」と呼ばせ、人前で妻が自分を「お父さん!」と呼んでも、にこにこ。

お召し列車で、カメラ片手のこのていたらく。そして妃は家で食っちゃ寝。

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 「新しい皇室」を感じさせたであろうこのシーンも思えば、欧州の王室におけるレディファーストの模倣です。しかしながら、皇室で女性を先に扱うと、基本の伝統が崩れ去ります。単なる夫と妻ではないということを、ご本人様も国民も腹に据えておくべきでした。

男子一系万世一系の価値観も、皇后陛下には通じていません、恐ろしいことに。これだけ長く皇室にいらして、皇室の意味がお解りではありません。皇室の意味とは神道です。結局、皇后陛下は神道をお解りにならぬまま、晩年をお迎えで、心にあるのは日本の神々ではないでしょう。

末尾に資料を置きますが、正田美智子嬢入内はGHQの施策延長との思いをより深く致します。語り手の視野にGHQはないのですが、語られる背後に動きを感じます。語り手の視野のもう一つ向こうに戦勝国連合があり、彼らによって動かされた人物群があり。仮説ではありますが、あれだけ周到に日本と皇室弱体化の種をまいていったGHQが戦後初の妃に対して無策であったとは、考えづらいのです。入内に動いた人物が全部キリスト教徒だというのは、偶然ではないでしょう。

正田美智子嬢はGHQの、小和田雅子嬢は外務省自虐史観派と、創価との結託で押し出されてきた存在だと思います。もっとも、それじたいがGHQ施策の余波ではありましょう。敗戦以降外務省の出世階段は、GHQの意向に添う反日自虐史観者しか上がれず、小和田恒氏はその出世頭です。

小和田恒氏を調べるにつけ、これは端的に国賊です。
土井たか子氏相手の国会答弁におけるサンフランシスコ条約における解釈に始まって、河野談話の慰安婦にも関わり、また天皇陛下に要らざる謝罪をさせた作文も小和田恒氏の手になるものです。

かくも、日本国を害し続けた男の娘が、入内? 本来あり得ないことで、そのあり得ないことが2度続けて起こっているのが戦後の皇室です。国民が気づかないと皇室は荒廃します。

美智子妃、雅子妃、いずれも、自然な出会いではありません。企まれ仕組みに仕組まれたご縁です。

伝統が壊され勘違いが進み、皇太子の「雅子の人格」発言がありました。
皇族に世間一般の人格などありません。だからこそ、姓もない、戸籍もない。
厳しさが要求されるから、与えられるものも莫大です。それが嫌なら、自らその地位を辞すればよい。入内にあたって神道の特殊な家に嫁いだという自覚がない者は去れば良い。
皇太子と皇太子妃には離婚の自由はあります。義務は果たさず、莫大な権利は食い散らす。世の中が、影響を受けてゆがみます。

皇太子夫妻が学習院大学で見せた態度こそが、典型的モンスターペアレントのそれでしかありません。小学校でも荒れ始め、一年生が教師を蹴る如き由々しき事態になっているようですが、歯に衣着せず申せば問題児である愛子さんを特別扱いさせ、甘やかしに甘やかしたその悪しき教育態度が、これもまた世間の風潮を作ってはいないでしょうか。

降嫁すれば「ただの人」になる我が娘にお手振りさせる、尊大な勘違い。そのお手振りも右手と左手の区別がおつきでないさまが、いたわしい。なぜ、「ご優秀」と嘘を流し、娘さんご本人に余計な抑圧を与え苦しめるのでしょう。

世間の乱れと歪み、異常気象と災害は皇室の写し鏡なのではないでしょうか?

あと過剰に美化された部分は、修正した方がいいと思いますが、「才媛」のイメージも、雅子妃と同じく粉飾です。現在の偏差値を直接あてはめるわけにもいかないのですが、当たらずといえども遠からずレベルでは、判定できるでしょう。

聖心女子大学は、頭脳で判断する限り「並みのちょっと上かな?」クラスでしょう。お嬢様大学で親の職業などが重要視されていましたが、成績だけで言えば津田塾、御茶ノ水の滑り止めです。この時代のことですが、日本女子大がそれに継いだ感じでしょうか? いずれにしても女子で学業優等な人は、津田塾、お茶の水、慶応狙いでしょう。

お嬢様のイメージと、皇后を排出したことでその意味での格は高くなったでしょうね。

 

というわけで、イメージで思い込まれているほどの才媛ではないのが皇后陛下の実像ですが、和歌は一流でしょう。それゆえ、語感の感性、語彙の豊富さと文章力は群を抜いている、とこれも率直に申し添えておきます。(と、知人に話したらゴーストの可能性は? と問われ、これは解りません)

談話は雅子妃ほど頭の悪い混乱はなく、整然となさっています。なので、和歌も自作と思います。ただ、バチカン訪問の折の、カトリックについての記者の予定外の質問に対しては取り乱されました。

皇后陛下の言動を拝察していると、かつて浜尾元侍従が評した「クレバーだがワイズではない」は、(当然)相当遠慮してマイルドな言い方なのであって、謀略家としての頭は回るが、賢くはない、という評価が正確なところでしょうか。

ともあれ、国民が長年思い込まされていたほどの才媛ではいらっしゃらない・・・・。

学校のあれこれなど、普段は言わないのですが、皇后陛下の虚飾の部分に触れると言及せざるを得なかったので、ご不快の方々には申し訳ありません。

子育て庶民流も今にして思えば浅慮。自らキッチンに立った姿を撮影させて表に出すのも奇妙。果物を搾っているだけなのに、エプロン。お子様方から、「母の手料理」の逸話など、聞いたことがございませんね。何もかもが女優美智子様の演技プラン。とっても庶民なわたくしという「演出」。

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得意料理、ビーフストロガノフって・・・・・ハインツなんかの缶詰に
牛肉放り込んで煮こむだけ・・・・
雅子様はふろふき大根って、あなた居酒屋おまさの、女将さん?
と言いたい、いずれも料理かなあ?

いやそこを非難しているわけではなく、どうも美智子さまから皇室の女性が、芸能人のように、イメージが作られ演出が始まったような気がするのです。

その反面、清子様は放置。これも自分大事の女優っぽいことですね。

庶民流を表に出し過ぎたのかもしれませんが、間違いです。皇太子は将来の祭祀王なのだから、世俗のあれこれに染めてはならず従って、妃も浮世のことからは超然となさっているべきでした。

浜尾元侍従は「評判を気にしすぎる」と指摘しましたが、新聞、週刊誌をチェックして気に入らぬ記事は、侍従を通して注意させるなど、そこまで世俗を気になさるのも違うでしょう。人気商売ではないのですから。まさしく、人気を演出しながら今日までいらしたな、とは思います。

いじめも、今あれこれ画像を含め検証すると、そんな大したことでもなかったのではないでしょうか。皆無とは言いませんが、いじめられている嫁が、サングラスをかけたり、とっかえひっかえ奇抜なファッションに身を包んだり出来ません。

 

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皇族が国民の前で、その立場より男女という雰囲気を漂わせ始めたら、そこから堕ち始めます。男である前に、天皇陛下は神道の厳しい祭祀王のはずです。

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電車や路上での男女の抱擁や、キス。電車内での化粧。公私の場をわきまえぬ西欧風が気にならない人もいるかとは思いますが、場所におけるけじめのなさが、いいこととは思えないのです。こういうことまで、皇室にすべての責任があるとはいいませんが、少なからぬ影響を与えている気はします。

教室からアメリカ流儀に教壇をなくしたその結果、教師の権威も責任感も希薄になって、皇室荒廃が始まり、小1の子が先生に蹴りを入れるような時代になっています。

昭和にはあって、平成が失ったもの「けじめ」「礼節」であり、それに対しては皇室も大きな責任を担ってはいないでしょうか。

 

それでもまだ、天皇皇后は駅長に気を遣われる。

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皇太子の代になると、直立不動の駅長に目もくれず、夫婦でくっちゃべり。

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それもしかし、両陛下の皇太子、皇太子妃へのご教育がずさんだからではないでしょうか。それにしても、駅長への感謝を表すはずの皇后陛下が、カメラを意識した朝鮮式コンス。これはこれで・・・・・。

 

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情けない・・・・

 

参考資料


  美智子妃が決まるまでー半世紀後に語れる実相

  佐伯 晋氏

 

抜粋です。原文は以下サイトさんでお読みください。

h ttp://www.hone-kenko.org/sansuikai/sansui_32.html

 略

 

1.美智子妃選考の背景

 略 ところが、私の印象では、どうも、歴史としてきちんとした記録になっていない。その事柄がどういう経過を辿って、何時そうなったのかということが、リアルに押さえられていない。少なくとも押さえようとする努力が必要な筈です。

ところが非常に不思議なことに、この件については、50年以上経った現在まで、全く手がつけられていない。あるのは、皇太子の恋物語、あるいは現代のシンデレラ物語ですかね。まあ、せいぜい、皇室の開化・開明物語。当時、「ミッチーブーム」と言われた、ムードにくるまれた物語に終わった。実際、取材に携わった身としては、非常に何か、奇異な感じがします。「封印された歴史」と言う言葉がありますけども、「閑却された歴史」と言った方がいい。

(1) 明らかにできなかったわけ

 ではどうしてそうなったのでしょうか。これはまあ比較的簡単な理由でありまして、一つは、お妃選びの選考に携わった、直接の当事者。仮に「選考首脳」と言っておきますけど、この時お妃選びに係わった人は6人。小泉信三(大正・昭和期の経済学者。今上天皇の皇太子時代の師父。昭和8年~昭和22年まで慶應義塾長。)さん、正式の責任者である宇佐美毅さん(当時の宮内庁長官)。それと三谷隆信侍従長、鈴木菊男東宮太夫(宮内庁の中で、皇太子を擁する東宮府の最高責任者)と黒木従達東宮侍従(もっぱら皇太子に仕えるのが東宮侍従)。東宮侍従は当時4人いましたが、お妃選びに関しては、黒木侍従一人が専任。まあ実際上、一番働いたというか、組み立てていったキーマンは、この黒木侍従さんだったと私は思っています。

 

それと、副次的にはこの、3、40年ぐらい経て、まあ、漏らしても、そんなひどいことにはならない、あんまり迷惑はかからない状況になった頃には、肝心の選考首脳の大部分が亡くなられている。小泉さんとか田島さんなどは、ご成婚から10年もしないうちに相次いで亡くなっています。一番若い黒木侍従、一番ことの真相を知っているキーマンも、ちょっとした事故死みたいな形で、昭和58年に亡くなってしまいました。どの方も、ほとんど、手がかりのような、例えば回想録とか、日記というようなものは残さないで、お妃選びの真相はお墓の中に持って行かれた。もう、歴史を探る手がかりは、全くなくなっていると、私は長い間、信じていました。

 略

 

(2)田島日記

 略

 加藤さんの関心は、田島さんの宮内庁の長官時代。これは、まだ占領下で、GHQと皇室との大変なせめぎあいがあった。それはそれでもう、大変面白いストーリーです。加藤さんは、そっちの方に重点を置いて、ほんの付け足しの感じで、このお妃選考時代の田島日記を紹介しているわけです。

(3)選考首脳のジレンマー恋愛結婚かアレンジド・マレッジかー
 

当時から現在に至るまで、あれは、ほぼ恋愛結婚だったと、多くの方が思っておられる。しかし、恋愛関係はなかったと、公式の場で、少なくとも2回、当時の最高責任者である宇佐美宮内庁長官は、言い切っています。
 
 略
 

(4)ジレンマの真意
 
略 選考首脳部の置かれた立場は、当時、「皇太子に恋愛結婚などさせたら承知しないぞ。そんな、はしたないことは、あっていいものか。」という守旧勢力がありました。具体的に言いますと、当時の女子学習院出身者で構成している「常磐会」です。ここには当時の皇族の宮妃殿下とか、その娘さんとかをはじめ、旧華族の奥さん、あるいは娘さんなど、かなり有力者の華族もいれば、宮中の「奥」というところで厳然たる勢力を持っている女官長、女官、あるいは侍従などの奥さんなどが構成。その会長が、秩父宮妃殿下のお母さんの松平信子さんです。

この人は、皇后さんにも大変信任があって、しかも宮内庁参与という肩書きも持っており、少し前には皇太子の教育係の一員にもなっていました。皇室に関係する事柄について、女性ながら相当な発言権を持っている人が会長になっている「常磐会」。女性ばかりですけども、有力な団体。これが象徴的なもので、それを取り巻いて、男性でも、侍従、それから宮内庁の旧華族出身の職員の一部とかですね。そういう、隠然たる、しかし、恋愛結婚には必ず強い反対をするであろうという勢力が、はっきり目に見えていたわけです。
 

というのは、恋愛結婚じゃなくて、選考首脳が民間出身者を選びお膳立てして、そして皇太子殿下に是非これをと推薦するようなことになった場合、保守勢力は、皇族、または華族関係から出るのが当然だ、と思い込んでいるわけです。これは当時の皇后様まで含めてそう思っていることは、極めてありありとわかっていたわけです。


 そうすると、皇太子さんが恋愛感情の全くない人を、自分達があてがうと、これが皇族・華族なら、保守勢力は大満足ですけど、それが民間だと、これは、一大事ということになるわけですよ。だから、「これは、私たちというよりは皇太子殿下が望んでいる。」という形へ持って行かざるを得ない。

平たく言うと、やっぱり、自分達の選ぶ候補者に、皇太子さんが恋愛してもらわないと困る。特に、保守勢力への顧慮だけではなくて、実際問題として、民間出身者を選んだ場合、最後は皇太子さん本人にやってもらわないと出来ないということを、その頃までの選考作業の経験で、選考首脳はわかってきていました。

 略

(5)皇室会議
 
 略


  この高松宮殿下と秩父宮妃さんに対しては、仮に候補が民間出身者であれば、この2人が否定的な場合は、宮内庁長官がいくら言っても説得しきれないのです。どうしても皇太子ご本人が説得しなければならない。美智子妃の場合も、現実に最後は皇太子さんが、秩父宮妃と、高松宮殿下のかわりに高松宮妃の2人を、揃って皇室会議の前に招いて、根回しのため3時間半かけて説明された。そういうようなことで、どうしても本人に恋愛してもらわなきゃならない。選考首脳は、非常に難しい綱渡りのような作業を、後から考えると、奇跡的といっていいほど、周到にうまくやったというのが、私の推論です。

2.ご婚約までの推移

(1)民間人のお妃候補
 
それを、この年表に沿って、具体的に説明したいと思います。
お妃選びはいつ頃から本格的に始まったのか。これは、だいたい昭和30年頃からだろうというのが、定説にはなっていました。しかし、この田島日記によって、それまで推測であったものが、はっきり裏付けられました。

美智子妃選びのchronology

昭30.3.25
[田島道治日記」宇佐美から東宮妃探しに
ついての協力を頼まれる。両陛下もその意
向とのこと。
消極的、部分的にはお手伝いする。
民間によい人があればその意見に従う。
と返事。

昭32.8.19
軽井沢テニスコートで、
ダブルストーナメント四回戦で
たまたま皇太子組と美智子さん組が対戦。

昭32.10.21
[田島日記]Kの名前出る。
大賛成、周囲も賛成のよう

昭32.10.27
調布市の日本郵船コートで学友たちと
時々やっていたテニスの試合に、
皇太子が美智子さんを誘う。
試合後写真を撮る。

昭33.1.15
[田島日記]Kについて-、こまずいこと。

昭33.1.25
[田島日記]Kはダメに。

昭33.2
皇太子、小泉に「正田さんも調べてみたら」。

昭33.2
皇太子、美智子さんに写真届ける。

昭33.2
皇太子、麻布ローンテニスクラブに特別会員として入会。小泉の勧め、紹介?

昭33.3
正田美智子さん、麻布ローンテニスクラブに
入会、知人(?)の勧め。

昭33.3.3.1フ.40~23.15
小泉邸で選考首脳会議。Kに代えてHを調べることに(田島日記)。他に数候補。
小泉「殿下のご意向をお汲みして、
それでは正田さんも候補に加えるこ
とにしたらどうでしょう。」異議なし。

昭33.4.1
[田島日記]宇佐美、ソニーに来訪、
「Hは新規蒔き直しになった」

昭33.4.12
[田島日記]
「ShodaSoyejima調ベヨクバ賛成イフ」

昭33.5.2
長官公舎で選考首脳会議。
ほとんど正田美智子さん一本に
しぼられ調査を本格化することに決定。
他に二三の予備候補。

昭33.5.7
皇太子、調布市の日本郵船コートのテニス会に再び美智子さんを誘う

昭33.5.20
佐伯、正田英三郎氏に会う。

昭33.5.21
正田夫妻、小泉信三に面会申し入れ。
小泉、ソニーに田島を訪れ、正田夫妻に
どう応対すべきかの意見を求める(田島日記)。小泉、宇佐美と会談。

●の2
昭33.5.22
[田島日記]小泉から「S会見ノ結果ノタメアヒ
タシトノコト」と電話があり、すぐ会いに行った。

昭33.6.2118:CO~22:CO
小泉邸で選考首脳会議。

昭33.7.23
宇佐美、小泉、鈴木東宮大夫、
葉山で両陛下に正田美智子さんにしぼって
調査を進めることを報告。

昭33.7.24
報道協定

昭33.8.15
宇佐美、那須で両陛下から、正田家と交渉を始める了承を得る。
軽井沢の皇太子、美智子さんを細jll邸コートでのテニス会(17日)に誘う。美智子さんOK。

昭33.8.16
小泉、軽井沢で正田夫妻に申し入れ。
正田側拝辞するも、小泉は17日以後も交渉継続を要望。
美智子さん、テニス会招待を断わる。

昭33.8.19
正田夫人帰京、聖心ブリット学長と
美智子さん外遊を決めてしまう。

昭33.8.22
小泉邸選考首脳会議
[田島日記]「大体決定問題は勝沼の意見」

昭33.9.3
美智子さん、外遊に出発。

昭33.9.18
黒木従達東宮侍従、正田家を訪問、
直接、皇太子の求婚を伝える。
正田夫人の緊張度高まる。

昭33.11.13
正田家、小泉に承諾を表明。

昭33.11.27
皇室会議、婚姻承認。婚約発表、報道解禁。
 

  略

 しかし小泉さんは、初めから民間からの候補を検討してはいない。やっぱり旧華族から始めているのです。

(2)軽井沢テニスコートで偶然の出会い
 
 略

 それから一方、美智子さんの方では、9月に聖心女子大の同窓会があって、そこにテニスの時の写真を持参しているのです。試合をした時、お母さんが慌てて人に頼んで、撮ってもらった写真ですが、この写真を同窓会に持参し、同窓生たちに皇太子さんを負かしちゃったわと言っています。

BB;見せびらかして自慢なさったのですね。皇室尊崇の家の娘なら、私的な場で写真をさらし「皇太子サンを負かしちゃったわ」とは言いませんね。

入内しでも「皇太子サンと、天皇サン」を負かし続けておいでです。

本来、写真をさらし自慢した時点で、大失格にすべき娘でした。

「負かしちゃったわ」とは、なるほど皇室との縁談を「ストラグル(闘争)」と表現した母親の娘ではありませんか。

  これは、美智子さんが、この試合で皇太子さんに恋愛感情を持って、ひょっとしたら私がと考えていたとすれば、それを、同窓会に出て写真を見せびらかすなんてことは、考えられないわけですよね。むしろ、なるべく隠そうと思うでしょう。だから、そのときはほとんど、恋愛感情みたいなものは、美智子さんは持っていなかった。両方から見て、8月19日が恋の出発点だったという説は、全く否定していいと思います。

(3)旧華族への対応

 略

ただし、守旧勢力が当初、皇太子さの相手としてはこの範囲でと言っていた、旧華族というのか、明治の皇室典範時代の規定には、「皇族のお妃には、皇族か又は特定の華族」とある。

  特定の華族というのは、たとえば五摂家の子孫だとか、それから徳川家関係、それから大大名だったもの。小大名は、もう相手にしてもらえなかったのですけど、K嬢は、華族創設のときになった旧華族と違う、まあ新華族ぐらいでした。しかし旧華族のイメージを持っていたわけで、このKと、それから少し後に出てくるHがありますが、いずれも松平信子さんの推薦です。
 
 このころは、行き詰っていて、松平さんも特定の華族という主張を少し譲歩したけれど、しかしやはり華族出身に強いこだわりをもって、それで、新華族のKさんはどうだ、という話ですね。

 

(4)大学に推薦を依頼
 

というのは、行き詰って、いよいよ民間出身者にも手を広げなきゃならんと、少なくとも中核にいる宇佐美、黒木お二人が判断をして、その手段として、聖心女子大、東京女子大、日本女子大、御茶ノ水、というようなところの大学の学長に、9月ごろから極秘で推薦を依頼しています。お宅の卒業生で、民間人でもいいから皇太子妃に相応しい人を推薦してくれということです。

 ただし、学習院、聖心・・・」と書いています。民間でいいが、やっぱり学習院出身者か聖心がいいと考えられていた。やはり、学習院に次いで、良家の子女の通う学校だというイメージが、聖心女子大にあったんでしょう。

BB;この段階でGHQが水面下で絡んできたのか、あるいはその前から・・・・というのが拙ブログ主の仮説です。

(5) 聖心女子大学
 
 聖心が最初に頼まれて、最初に推薦してきています。その筆頭に正田美智子さんの名前が。

 略

ちょうど、日本郵船のコートでテニス会をやるということが決まっていましたから、皇太子さんに「8月にダブルスでやられた正田美智子さんを覚えておられますか」と水を向けたようですね。皇太子さんは、やはりかなり強い印象をお残しになったのは事実で、軽井沢でダブルスの試合が終わった後、「すごく強い女性だ」と、こう学友に言われた。

 そして、美智子さんと、軽井沢テニスコートで2、3年から、親しい仲になっていた織田和雄君という学友がいます。しかし皇太子さんは、この軽井沢テニスコートに出たのは、この32年の8月が初めてなので、美智子さんとは、それまで面識もなかったわけです。それでゲームが終わって「あれは何というお嬢さん?」と、この織田君に聞いているのですね。

 
 ただ、この日の試合の時に、学友の織田君に、「おい、あの子と組ませろよ。」ということは言っています。あの子というのは、正田美智子さんです。

 

(6)K嬢の係累に身体の懸念が 
 それで、Kについては、果たせるかな、その後、ダメになりました。これは具体的には、係累に色盲が出たというのが理由でした。色盲というのは、皆さんご存知でしょうけど、昭和天皇の皇后、久邇宮家からの良子さんについて、宮中某大事件といわれたことがあった。要するに、良子皇后の弟が弱視だったので、山形有朋などが猛反対して、辞退させようなんていうことになって、大騒動になった、このトラウマがありますから、この色盲というのは、これは一発でダメだろう。まあ、

 BB;以降、佐伯氏の視界にある経過が綴られているので、GHQは姿を表わすことはありませんが、余白を読んでいくと、動きを想定することは無謀ではないと思いました。

(7)東京ローンテニスクラブ

 略

  (8)黒木侍従がキーマン
 

 
皇太子さんと美智子さんは、このローンテニスクラブで、多い時は月に4、5回、会っているわけです。それも大部分は皇太子さんが、織田君を通じて、明日、何時から行きませんかという電話を入れて、美智子さんと会っている。ですから、この3月から5月ぐらいまでの間に、これもう、しきりに「デート」と言っていい状態になっているんですね。この東京ローンテニスクラブがなければ、おそらく、婚約関係は成り立たなかっただろうと思うくらいです。

(9)美智子妃が候補に

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秋篠宮殿下へのご移譲を願い、祈ります。


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