雅子妃入内に関しては、遠く福田赳夫元首相にまで遡り、福田元首相の子分である小和田恒夫妻、そして小和田妻のほうと、高円宮家とのつながりで生じたことです。
決して自然発生の縁談ではなく、仕組まれたそれであることは如実です。過去記事に相当量検証してあるので、興味があればご覧ください。
過去記事は膨大にあるので、どれを参照して頂けばいいのか解りませんが。
雅子さん入内工作が分かりやすいのに引き換え、長きに渡り拙ブログ主も見落としていたのが美智子様入内の背景です。「A級戦犯」ご発言と、元GHQメンバーへの賛辞と共感などがいぶかしく、調べてみたら皇后陛下の入内に際しては、偶然の粋をはるかに超えて、キリスト教徒たちが関わっていることを発見しました。いえ、偶然の粋を超えてというより、全員がキリスト教徒たちなのです。プロテスタント、カトリックを問いませんが、ほぼカトリック寄りです。プロテスタントでも教義がカトリック寄りのほう。(キリスト教貶めではないので、誤解無きよう。手段として使われた場合、宗教が邪悪な側面を持つことは歴史の真実です)
そもそも日本/皇室弱体化を狙ったGHQが手段として使ったのがキリスト教だったのです。皇室の根幹、神道の弱体化狙いです。
二重橋を初めてキリスト教徒とバイブルが渡りました。そして、大目的は次代の天皇である明仁皇太子の洗脳です。クェーカー教徒がべったりと、皇太子に張り付き、「ジミー」と皇太子を呼んで、西欧式の価値観を刷り込みつつ、一方GHQは、戦犯たちの処刑を皇太子の誕生日にぶつけて、恫喝したわけです。
下手な考えを持つと、お前もお前の一族も吊るすぞ、という無言の威嚇です。
まだ少年期にあられた皇太子の柔らかい脳裏に、いかに戦勝国連合の洗脳と恫喝が刻印されたか想像に難くありませんね。
「不敬」呼ばわりで、皇族批判を封じようとする人たちに繰り返し申し上げているのは、天皇皇后皇太子を越えたその先の戦勝国の反日施策への、実は批判なのですよ、と。不敬の名のもとに批判精神を忘れると、みすみすGHQの日本弱体化路線を国民も共に歩んでしまうことになりますよ、と。
本題に入ります。
日本の敗戦も、天皇制存続もGHQの前身であるOSSでとっくに決まっていたことです。
http://hidemichitanaka.net/column/single/110727/
OSSとは何か? ↑
《民主主義化の名で呼ばれ、国民の大半がそれと信じてゐた日本の戦後改革は、実は隠れ共産主義者F・ローズベルトを淵源とする米国戦略情報局の、日本改造計画の実現だった。その真相をつきとめた本書により、戦後史の根本的書換へがはじまる》。
http://www.hanadokei2010.com/faq_detail.php?faq_category_no=25
(優れたOSS解説サイトで↑、憲法論もまっとうです)
大雑把な言い方をするとGHQ憲法擁護の両陛下は、GHQ派です。
ルーズベルトは、実は隠れ共産主義者でした。彼の描いたシナリオには、日本の敗戦とともに、日本国の共産主義化というのがありました。
キリスト教と共に、共産主義が占領軍の日本制覇の2大ツールだったのです。
OSSとGHQメンバーには多く隠れ共産主義者が潜んでいたのです。
ローマ法王ピオ11世は共産主義排除主義の立場でしたが、教徒さまざまで原爆投下に関わったカトリック司祭もいます。
当初は日本と皇室の共産主義化でプロジェクトが進められていたのですが、ルーズベルトの死去により物事は複雑化して、そのうち赤狩りが始まります。
平行して愛国主義者たちが、公職追放されて行きます。
GHQの方向転換は、米ソの冷戦がきっかけですが、一度植え込んだ皇室弱体化ウィルスは増殖しつつ、現在まで作動しています。
ちなみに、終戦以降の外務省の歴史は国賊の歴史です。つまり、GHQの日本弱体化政策に忠実な者が出世階段を駆け上り、愛国者は切り捨てられて行ったのです。出世頭が小和田恒氏であり、あの時代に出世頭たり得たということは彼が、反日主義であったということを意味するのは解るでしょうか。
そして、その娘の入内が必ずしも皇室と日本の為の価値観優先でなされたものではないこと、美智子様の入内と同じことです。
(敗戦と言っていますが、あの戦争がある面では白人の有色人種奴隷化政策の開放でありその意味では勝利であったことは認識しつつ敗戦という言葉を使っています)
GHQの前身、OSSを述べ始めるとそれだけで本一冊分の語彙が必要で、こちらでは無理。皆さまの自主的知識学習に委ねるしかありません。
[OSS GHQ]とでも検索をかければ参考書物や、サイトに巡りあうと思います。このOSSこそが日本の戦後を解き明かすキーでもあれば、皇室弱体化の根本原因でもあります。
美智子さまの生家、正田家がカトリック教徒であることは有名ですが、正田家をカトリックへと導いたのは、ジョセフ・フロジャックというフランス人神父であり、この神父が皇居へも出入りしていたところを見ると、GHQの息がかかった工作員神父であったと見做して間違いないでしょう。この神父の足跡は、細かいところまで記述されているのに、正田家と関わっていたことや、皇居に出入りしていたことは、見事に欠落していて、実はその欠落の中にこそ歴史の真実があります。
知られてはまずいから、歴史から削除され、そこにこそ着目すべきです。
フロジャック神父は「美智子さん」の入内に関して「自分がなした業績の中で最大のもの」と、言っていることが関連書物に述べられていて、そこには正田家の「美智子さん」にとっては父方祖母が言葉を寄せています。それほど、フロジャック神父と正田家は密接でした。
美智子様入内の立役者はこのジョセフ・フロジャック神父でしたが、表立って動いた人たちが例外なく全てキリスト教徒たちです。彼らは、テニスコートでの出会いからプロデュースして今上陛下と美智子様の出会いの場を、偶然を演出しつつ作っています。
長くなるので端折りますが、皇室弱体化のために使われたキリスト教なのですが、それとワンセットで実は共産主義が絡まっていたのだ、と検証してくださったのは読者さんで、次にその文章を載せます。ただし、皇室論でも上級編に属することなので、いきなりは無理かもしれません。便宜のために色文字にしておくので、そこだけつまみ読みしても大丈夫です。
現在の天皇陛下と内廷皇族の自虐史観に基づく左傾化は、遠くOSSとGHQに端を発すると、ご記憶ください。その上で各自、史料を更に詳しく学んでいただくしか、紙幅に制限の著しいブログで解説は無理です。
要するに、現在の皇室弱体化・左傾化はOSS発GHQのシナリオ通り。見事なほどの成功です。ただ、世界情勢が変わり米国は日本弱体化路線を、悔いて修復中である、それが集団的自衛権に結びつきます。
皇室に関してもおそらく、彼らはやり過ぎたと思っているでしょう。他ならぬ天皇と内廷皇族が左翼発信して、対中国の危機に日米が一枚岩にならねばならぬ時機に、左翼プロパガンダを行われているのですから。
キリスト教というウィルスも、左翼というウィルスもOSS発、GHQが仕込んだことなのです。(何度も誤解なきよう言いますが、キリスト教への貶めではありません。宗教が手段として用いられた時の負の側面を述べています)
以上全て「仮説」として読んでくださって構いませんが、事実の色合いは濃いと思っています。
以下が読者から寄せられたコメント文です。
リベラルどころかコミンテルン。マスコミも掌握済の御入内。 2015-08-25 20:36:17 *む子 「A級戦犯」ご発言の皇后陛下に...美智子妃入内の宮内庁立役者3人をはじめ、天皇皇后を取り巻く人材がほとんどクリスチャンだったことも、既にBB様は記事にされ、本記事にてもフロジャック神父やカトリック信徒との深き交流を重ねて言及くださっております。が…
更に知って驚いたのは、
その取巻くクリスチャン達が「コミュニスト風味」で、あろうことかコミンテルン・スパイに辿り着く人脈であること。
↓
『論文 後藤新平から見た日本の赤い系譜 日本研究所 研究員 西智美』
http://www.jpni.jp/column/1
(過去記事での、いささか しょっくなので (Unknown)様がコメントにご提示のリンク先でした。)
クリスチャンが左寄りになる事はありがちですが、ここまで真っ赤っかに染まった人物達とは…しかも、後藤新平を起点に、その部下新渡戸稲造の門下生としての系譜も重なり、鶴見家、前田多門家、宮内庁田島・三谷も合わせて、皆縁故関係。共産主義者以外に会わないスターリンが2度も会った後藤新平と直接の関係もある。幾つもの左巻き勉強会のメンバーとして共に名を連ね…
まず、新渡戸稲造は、
後藤新平が抜擢したところから鯉の滝登り。
「武士道」を著し、国際連盟事務次長の時には人種的差別撤廃提案を出すなど、歴史的な功績がありますが。賛意を得た人種差別撤廃案を、議長の米国大統領がひっくり返した横暴さに辟易し、思想的にも最後通牒となったのか?帰国後、「僕はムッソリニはワシントン以上の人だと思ふ」「僕は所謂デモクラシーに愛想をつかしてゐる」などの発言があり、マルクス・レーニン主義寄りとの指摘があります。
この新渡戸稲造門下生の中で「新渡戸四天王」と呼ばれたのが、
鶴見祐輔、前田多門、岩永裕吉、田島道治。
GHQのご意向を実現した、負?の功労者の皆様です。
特に…
鶴見俊輔・和子~~都留重人~~ハリー・ホワイト、H,・ノーマン、鈴木安蔵、木戸幸一
このラインは、半端無くやばい!
ハルノートを改竄し日本を戦争に追込んだホワイトを筆頭に、戦後日本人の精神を打ち砕き、天皇廃止の時限爆弾を仕掛けた反日工作員フランクフルト学派と繋がり、国内においてはコミンテルン・スパイの所業の報告書を捻り潰し、昭和天皇に隠した輩達です。
「鶴見家」は、なんと正田家と祖父時代から交流がありました!
美智子皇后と和子の関係ではなく、鶴見家と正田家の両祖父、父鶴見祐輔と美智子皇后父母の交流がありました。
『対論 異色昭和史」鶴見俊輔・上坂冬子著』より
鶴見:皇室に美智子さんが入ったのはいいことです。彼女は立派だ。
(中略)おじいさんは醤油屋です。そのおじいさんが、粉を持って軽井沢の私の家にきていました。
上坂:そんな頃から鶴見家と正田家とは関係があったんですか。
鶴見:そう。だから私も玄関先で正田家のおじいさんと会っています。戦争中に話したこともある。だけど美智子嬢に白羽の矢が立った時にお母さんは非常に悩みました。ロシアの歴史を知っているから、とばっちりを食って嫌な目に遭うんじゃないかって。
『石井信平の「オラが春」皇后と鶴見俊輔さんの出会い』より
(鶴見和子一周忌・山百合忌にて)
鶴見 「あなたのお父さんとお母さんが、父の鶴見祐輔を訪ねて、軽井沢や熱海の家に来られた日のことをよく覚えていますよ。」亡き両親について初めて聞く話に皇后は思わず身を乗り出した。
ttp://blog.goo.ne.jp/shinpeishii/e/60f7da8eeb8d232fb49aa2b3d305a7d6
ホワイト、ノーマンに至るような遣り取りが有ったのか、わかりませんが。こうした人脈に正田家が繋がっていることは、GHQ否OSSの息懸り入内の可能性は・・濃度を増しますねぇ。
後藤新平の娘が鶴見祐輔に嫁いだのですが、庶子の娘が嫁いだ佐野家は、日本共産党中央委員長もコミンテルン本部で働いた者もいる、真っ赤っか一族でした。
「前田家」は、
前田多門は後藤新平が東京市長の時の助役を振り出しに、後藤の訪ソ、スターリンとの会談にも随行したうえ、戦後初の文部大臣としてGHQの方針に沿う教育改革を積極的に行った人物。所謂「天皇人間宣言」を起草しました。
このとき、学校教育局長として、後の最高裁長官で、美智子妃入内に尽力した内村鑑三門下のクリスチャン「田中耕太郎」がいました。フロジャック神父とも面識があり、出会いの軽井沢テニス試合の写真を撮ったりしていましたね。
前田多門は、以前朝日新聞で論説委員を勤めた当時、尾崎秀美(近衛文麿政権を翻弄したゾルゲ事件のソ連スパイ)も記者として在籍しており、さらに前田と尾崎は「昭和研究会」という近衛文麿の政策諮問機関に、田島道治や芦田均、その他優秀で一種香ばしい方々と共にメンバーに加わって居りました。
さらに子供達は…それぞれ天皇皇后にお仕えしております。
前田多門ー長女・神谷美恵子(精神科医相談役)~皇后
ー長男・前田陽一(フランス語進講役)~天皇
ご存知「田島道治」は、
鉄道院での後藤新平秘書に、後藤により抜擢され、後に芦田均首相により宮内庁長官に就きました。同様に芦田抜擢の、東京帝大後輩の新渡戸門下生「三谷隆信」と「宮中クリスチャンコンビ」を組んで、GHQの意向による宮中改革を進めました。(昭和天皇は、諫言を厭わぬ真の忠臣・松平慶民、大金益次郎の信頼する長官・侍従長コンビの交代には難色を示したのですが。)長官職をクリスチャンの宇佐美毅に引き継いで、宮中クリスチャン包囲網?確立。さらにクリスチャン小泉信三を加えた、小泉・田島・三谷の奔走により、美智子妃入内に成功しました。
田島道治は、宮内庁を辞してからソニーに入社。前田多門の次女が井深大と結婚していたので、その縁と想像できます。彼らの結束は深いようです。
最後に「岩永裕吉」は、南満鉄に後藤新平の後押しで入社し、鉄道畑で働いた後に、国際通信社理事に迎えられてからは、マスメディアのトップを歩く事に。現在の共同通信と時事通信の戦後分割の前身である社団法人同盟通信社(電通と日本新聞聯合合社が合併)の初代社長を勤め、息子の信吉は共同通信社常務と電通取締役となり、マスコミも後藤新平・新渡戸門下のクリスチャン人脈が握りました。
こんな人脈に繋がり担がれたのですから、正田美智子さま無双ですわ。
【同一読者様による追記コメント】
木戸幸一、お主も極悪よの~ 2015-08-27 00:41:04 *む子 「A級戦犯」ご発言の皇后陛下に...
・二二六事件で皇道派を一方的に悪と決めつけ全面鎮圧を主導し、
・近衞首相の対米戦争回避策を徹底的に妨害して、東條を担いで開戦。
・昭和20年3月に、ソ連が共産主義者の入閣を要求してきたら受け入れてもよい。日本はロシアと組むべしと言い。
・近衛文麿が提出した、昭和天皇へのコミンテルンの謀略報告書を握りつぶし、
・終戦の仲介を、スウェーデン案、蒋介石案を潰してソ連に決めて、ソ連が対日参戦するまで戦争を継続させ…
・終戦後9月には、原爆投下は待ちに待つた終戦断行の好機を此処に与へられたものと言い。
・娘婿都留重人と「木戸日記」なるものを改竄して東京裁判に提出。
・H.ノーマン、都留重人と共謀。開戦の責任を対米戦争回避論者の近衛文麿になすりつけ、自分は昭和天皇を盾に保身。
・親友近衛を自死に追いやり、自分は一票差で死刑を免れ、終身刑なるも昭和30年に健康上の理由とやらで出所。
傘寿の祝いに、昭和天皇から賜杖をチャッカリいただき、87歳まで生きましたとさ。
こういう人の娘さんが、美智子妃の女官長。赤いクリスチャン護送船団にがっちり護られて…ということ。
雅子妃の女官長が、民主政権の中国大使の未亡人。お揃いですわ。
美智子皇后の女官長だった井上和子サンは、木戸孝一の三女だった!!!
【更に公平性を保つための補足コメント】
木戸幸一悪玉説と、近衛文麿悪玉説がありまして。
ナス子さんのブログでは、「近衛文麿の戦争責任~中川八洋著」の、近衛悪玉説を採られています。
らむ子は、wikipediaや「21世紀アジア協会ー木戸幸一の保身」
http://www.jas21.com/athenaeum/athenaeum77.htm
「近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任 単行本 ~鳥居民著」その他諸々から、木戸幸一悪玉説情報を拾っています。
もちろん、近衛悪玉説がメジャーで、木戸悪玉説は、工藤美代子の著書「われ巣鴨に出頭せずー近衛文麿と天皇」にも説かれる、H・ハーマン、都留重人らコミュニストが木戸減刑の為、近衛に罪をなすりつけたという新説です。
・・・・・・ここまで
◆後藤新平から見た日本の赤い系譜http://www.jpni.jp/column/1
敢えて単純化して雑駁に言うと、OSS発GHQがカトリック背景の正田美智子嬢に、フロジャック神父の提言を入れ白羽の矢を立て(皇室弱体化の尖兵として)宮中に送り込み現在に至るわけです。
皇后陛下ご自身は、仕掛け人たちの思惑は(おそらく)ご存じなく、カトリック風土で培われた精神の導くまま、動かれたかと思われますが、ただ元GHQのベアテ・ゴードンへの信奉など、「主義者」としてのご自覚はあるのかもしれません。五日市憲法を引き合いに、暗に平和憲法・九条護持を主張なさっています。
加えて、強制の従軍慰安婦の存在を信じていらっしゃる節、韓国へのシンパシーに加えて謝罪訪問の意志を、天皇陛下と一にしていらっしゃいます。
天皇陛下の「戦後の知日派のアメリカ人に感謝」という言葉も、相当解った保守層には不可解なお言葉かと思うのですが、あるいは天皇家存続を前提に、天皇処刑を持ち出さなかったアメリカ人たちに感謝の意味もあるのかもしれません。「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
憲法を作った主語が「日本」となっていますが、故意かどうか事実ではありませんね。作成者はGHQです。その屈辱を作成現場からつぶさに述べているのが白戸次郎です。
東京裁判に当然のごとく、天皇陛下は引きずり出され処刑の運命にあったはずです。(肯定ではなく、単なる事実としてお読みください)だって総合責任者なのだから。しかし、日本国民統合のためには天皇を生かし、利用するほうが良い、そのかたわら着々と弱体化を、そのうちに日本国民を骨抜きに、と大方針を立てたのはOSSであり、隠れ共産主義者のルーズベルトでした。
駆け足解説ですが、諸事きちんと述べれば史料提示とそれぞれの検証、とブログの粋を超えた大論文となります。
余白はどうぞ、読者各自で学ばれ埋められますよう。
天皇ご謀反 保守がなぜ「不敬」の一言で白痴化するのか? 《転載自由》
GHQと皇后陛下 フェミニストとしての美智子様と皇室は共存し得るか
コメ欄より拾い上げた「仮説」 テニスコートの出会いは作られていた?
赤い天皇皇后として後世に名を残されぬよう・・・・ 【転載可】
共産党と、韓国人に絶賛される天皇って?
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/f11676a425a9d3e9d292a473e15dcedc
いやいや、左翼誌と共産党が絶賛する両陛下って、そりゃまずいっしょ
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/ff01fc7215ac8a9af06fcfa9e1d0290d
◆拝啓皇后陛下 原爆投下にカトリック司祭がいたことをご存知ですか
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/1bbadd227ddb747aac8af82cdd72a0fd
きぬが、最初にヨゼフ・フロジャック神父により洗礼を受け、生涯熱心で活動的なカトリック教徒に。
「美智子さんの入内が自分の最大の作品」と言ってのけていた、
フランス人カトリック神父、ヨセフ・フロジャック。
皇居に出入りしていた。
おそらく、戦後のGHQ施策の流れで日本で活躍した神父だと思われます。
それゆえにこそ、一介の神父の身で皇居に出入りができていたのではないか?
最後に申し上げたいのは、不敬を出発点としての皇族批判ではないということです。日本国大事でその日本国と不即不離の関係が天皇皇后両陛下、そして皇太子です。皇族が根腐れ(敢えて)すると、日本の屋台骨も傾きます。
現に天皇が天皇たる所以である祭祀が、徐々に短縮化、部分によっては廃絶の方向にあり、危険です。
今上陛下におかれましては、こと祭祀には誠実に取り組まれ皇太子時代の批判の対象であった軽薄さから脱却、それなりの風格と神聖を体現されていたやにお見受けするのですが、祭祀を2番目の価値になさり、パラオ慰霊に日本国の海の国防に関わる巡視艇を私用に改造して、内閣の反対を押し切られたり、本末転倒が目立つ辺りから、放つオーラがくすみ、皇后陛下とともに悪相・貧相におなりです。
皇太子は、天皇親修の祭祀を全て執り行う頭脳も意志もありません。それを支える皇太子妃も精神を病まれていて、祭祀はなおさら不可能。
天皇皇后として生涯最大の神事「即位の礼」は雅子妃には不可能。
この点を宮内庁に問い合わせたら「雅子さまご不在のまま、儀式は執り行われます」との回答に絶句。出だしから宮中祭祀崩壊です。
世界100か国以上から元首クラスをお招きしての一大国家イベントでもあるのですが、即位の礼が半端、新皇后陛下不在では台無しです。
また神事的にどうなのでしょうか、神々の御前に出て即位のご報告、ご許可を頂くとき、新皇后不在で、祭祀足り得るのでしょうか。神レベルでの即位があった、ということになるでしょうか。
点数稼ぎのトンガまで出かけ、雪山を滑走するお元気があられても、目と鼻の先の神域、賢所ご参拝を忌避なさるお方で、さすが自虐史観の反日者、中韓ひざまずき外交が旗印の小和田恒氏の娘さんです。娘さんは公務はなさらぬのに、反日組織である国連大学に入り浸りでした。
皇后陛下はOSS発GHQによるキリスト者たちの画策に依る入内ですが、雅子妃は、朝鮮勢力(核はおそらく創価)による入内です。
秋篠宮殿下への速やかなる移譲を主張するゆえんです。
天皇と内廷皇族の、左傾化の証左について
◆中国メディアが天皇陛下に「侵略戦争の謝罪要求」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150827-00000001-scn-cn
◆天皇陛下のお言葉を中国メディアが速報、追加報道・・・戦没者追悼式で初の「深い反省」
http://news.searchina.net/id/1585349
◆皇太子さまが記者会見で「歴史が正しく伝えられていくことが大切」・・・中国で評価の声、「誕生日祝賀」の書き込みも=中国版ツイッター
http://news.searchina.net/id/1562939
以下も、欧州貴族に知己を持たれる読者さまからの投稿文です。
平成流の皇室外交(親善)の実体 2015-08-26 14:38:57 **の臣 静養疲れを静養で癒される皇太子... BB様
拝啓
内廷皇族に関する連日の出稿、寸暇を惜しんでのお仕事と、感服、かつ感謝しております。又、本稿の追記を拝読し、強く同意致します。
題記の件、BB様、*む子様よりご教示戴きました、2015年新年特大号、【美智子さま、命の弾丸ツアー】の記事で、千代田関係者が語ると云った形をとっておりますが、皇后陛下のお考えを表明したと考える、下記ご発言に関し、コメント致します。
『(ベルギー王室、前々王妃ファビオラ妃葬儀参加時の)ヨーロッパ王族とのご交流を通して、王室社会の中に皇太子夫妻の存在感があまりない寂しさを強く感じられたそうです。皇后様は、天皇陛下のお導きによって、初めての訪米以来54年間、各国の人々と交流を続けられましたが。両陛下が築かれた平成流の皇室外交が、継承されていないのです。』
皇后陛下は、御自ら平成流の皇室外交(外交は政府の所掌であり、親善です)を樹立されたの如く、自慢されておりますが、実体は、逆に、昭憲皇后、貞明皇后、香淳皇后を始めてとして、明治維新以降の皇族方が営営と築き上げられた皇室親善を、むしろ蔑ろにされ、破壊されてきたと云っても過言ではありません。
BB様の記事にある通り、皇后陛下の服装は「目立つことが最重要であり」、日本国内では、突飛な服装ですみますが、欧州の王室との親善では、外交儀礼違反の服装コードで、ご本人は、他の王室の方々の侮蔑、失笑の眼差しを、賞賛の眼差しと勘違いされておられるご様子です。ベターニア様のご指摘のとおり、皇后陛下のお皿帽子は、外交儀礼上、女性王族の帽子とは認定されおらず、王室主催の行事で禁止されている髪飾りとされています。
やぐるまそう様よりご教示戴いた、宮中晩餐会でのルクセンブルグ国ジョセフィーヌ大公妃への衣装かぶりは、大公妃がベルギー王室ご出身であり、前々ベルギー国王と前国王の姉君にあたることをご存じの上での嫌がらせであったのでしょうか。ルクセンブルグ大公国のみならず、ベルギー王室を筆頭に欧州王室を侮蔑した事に相成ります。
又、ご婦人の読者の方々がご指摘のように、皇太子妃の衣装かぶりも、皇后陛下のお指図があっての事と考えます。特に、阪神大震災直後に、遙々、英国から来日され、お見舞いのブルーを基調とした渋い色のスーツをお召しの故ダイアナ妃に対し、家族(国民)が震災で亡くなられ苦しんでいる家の若主人夫妻が、笑顔でもって、然も衣装かぶりの無礼でお迎えしたことを、両陛下はご容認になりました。ダイアナ妃の阪神地区お見舞いも、皇太子夫妻ご自身が、見舞われていない事を理由に、宮内庁が断り、日赤本社訪問も、所謂「順番が違うのではありませんか云々」の理由にならぬ事で、大分、ごたごたがあったと聞いております。本件に関し、英国の新聞が、日本皇室の批判を繰り広げていたのを読んでおります。(然し、日本のマスコミの程度の低さには、毎度ながら、絶望に近い思いがします。)
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20080213135913.jpg
香淳皇后、秩父宮妃殿下、並びに、高松宮妃殿下も、お諫めしたと拝察致しますが、御自ら「八方塞がり」と、聞く耳を持たれなかったのでしょう。
英国滞在中、ロンドン市民から、日本の当時の皇太子妃を評し、「**屋の娘だから、云々」を何度か、耳に致しました。欧州王室の特に、女性王族は、王族故に、冷めた視線で表情に出されず、日本の内廷皇族と接してこられたと考えます。
英国のウイリアム王子が悠仁親王にお会いする事を希望された事に示唆される様に、欧州の王室は、秋篠宮両殿下に眼を向けられております。*む子様の詳細な時系列的検証により、内廷皇族、特に皇后陛下の妨害ぶりが明らかになっています。然し、故浜尾東宮侍従が評された「クレバーではあるが、ワイズではない」の通り、結果的に、欧州王室と、秋篠宮両殿下の結びつきを強固にしたと考えます。
末筆乍ら、BB様のご健勝をお祈り致します、併せて、此方のプログのご婦人読者の方々に、色々とご教示戴きました事、御礼申し上げます。
敬具
タイ国在留 憂国の臣 日本を損なう天皇皇后両陛下の反日自虐史観 《転載可》
■内閣の意思を上回る天皇の危険。
イタリア貴族が語る・実は海外王族から総スカンの皇太子と雅子妃 【拡散希望】
天皇皇后の地位は保全されているので、具申申し上げるしかないのですが、
皇太子皇太子妃に関しては、廃太子廃妃が可能です。
秋篠宮殿下になにとぞ、ご移譲を。
皇室典範◆第三条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、 皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることが できる。