晩餐会における天皇陛下のお言葉が、左翼的自虐史観ベースの思想でなされていることが指摘されています。
売国嘘つき朝日新聞が嬉々として、お言葉のすべてを採録しているのには、苦笑するしかありません。
天皇陛下、皇太子殿下の共産党や、朝日新聞を喜ばせる「平和憲法護持」発言と
相まって、内廷皇族は「A級戦犯」ご発言の皇后陛下含めて、総倒れ状態です。
この観点から物申しても、「不敬」の一言で思考停止する自称保守は、実は国と
皇室壊し加担の張本人だと、思い知るべきでしょう。
愚か過ぎます。
天皇陛下の日本のみを責めるかのようなご挨拶に関しては、本当に、いつまで日本はこれを続けるのかと、多くの人が思ったのではないでしょうか。
戦争をした国は、日本ばかりではありません。進んでした戦争でもありません。
戦争の是非論はともかくとして、あの戦争が白人による有色人種国家の植民地支配に
ピリオッドを打ち、当のフィリピンも開放されたのが歴史の事実なのに。
この度、フィリピン共和国大統領ベニグノ・アキノ三世閣下が、国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し、心から歓迎の意を表します。ここに、今夕を共に過ごしますことを、誠に喜ばしく思います。
貴国と我が国の人々の間には、16世紀中頃から交易を通じて交流が行われ、マニラには日本町もつくられました。しかし、17世紀に徳川幕府はキリスト教を禁じ、鎖国令を出して日本人の外国への渡航、外国人の入国を禁じました。そのため、キリシタン大名であった高山右近と内藤忠俊は、徳川幕府により、日本人キリスト教徒と共にマニラに追放されました。本年は、高山右近がマニラで病没してから、ちょうど400年に当たります。我が国は19世紀半ば、鎖国政策を改め、諸外国と国交を開くことになりました。20世紀初頭には、多くの我が国の人々が貴国に渡り、両国民の交流は盛んになりました。
しかし、先の大戦においては、日米間の熾烈(しれつ)な戦闘が貴国の国内で行われ、この戦いにより、多くの貴国民の命が失われました。このことは私ども日本人が深い痛恨の心と共に、長く忘れてはならないことであり、とりわけ戦後70年を迎える本年、当時の犠牲者へ深く哀悼の意を表します。
戦後、1956年の国交回復から今日に至るまで、両国は、共に手を取り合い、友好関係の増進に努めてまいりました。今や、約1万8千人の日本人が貴国に住み、20万人を超えるフィリピン人が我が国に滞在しております。その中には我が国の福祉施設に勤める人々もあり、高齢化する社会の中で大変重要な役割を担ってくれています。私どもが福祉施設を訪れた時、介護に当たる人々の中にフィリピンから来たと紹介される人もありました。
我が国の青年海外協力隊は発足した1965年から間もなく貴国において活動を開始し、今までにその総数は1600名近くに達しています。近年、経済、文化、そして人の交流など幅広い分野で両国関係がますます緊密になっていることを、誠に喜ばしく思っています。
今から53年前、当時皇太子であった私は、ガルシア大統領を国賓としてお迎えしたことに対する答訪として、昭和天皇の名代という立場で、皇太子妃と共に、貴国を訪問いたしました。その時、マカパガル大統領御夫妻を始め、貴国国民から温かく迎えられたことは、忘れ難い思い出となっております。また、カヴィテにアギナルド将軍御夫妻をお訪ねし、スペインとの独立戦争に勝利し、1898年フィリピンの独立が宣言されたバルコニーに将軍御夫妻と共に立ったことは、誠に感慨深いことでありました。
1986年2月、閣下の母君は、大統領に御就任、その年の11月、我が国を国賓として御訪問になり、私は皇太子として、大統領をお迎えいたしました。その後、1989年2月の昭和天皇の大喪の礼、翌年11月の私の即位の礼にも、御列席いただいたことに深く感謝しております。
閣下は、2010年の御就任以来、我が国を度々御訪問になっていらっしゃいます。2011年9月には東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市を御訪問になり、復興のための義援金が贈られました。このほかにも貴国からは、緊急物資や医療チームの派遣など、様々な支援を頂いております。また、昨年6月には広島市を御訪問になり、平和記念公園の原爆慰霊碑に献花をなさいました。我が国に対する温かいお気持ちに対し、心より感謝の意を表します。
閣下が、御就任以来、国民の声に真摯(しんし)に耳を傾け、貴国の平和と発展のため、貧困対策を始めとする諸課題に献身的に取り組んでいらっしゃることに、深く敬意を表します。また、我が国との関係強化に意を用いていらっしゃることを心強く思います。この度の御訪問が、両国の相互理解と友好協力関係の一層の発展に資する、実り多いものとなることを切に願っております。
ここに杯を挙げて、大統領閣下の御健勝とフィリピン国民の幸せを祈ります。
・・・・・・・・・・・・・・お言葉引用ここまで
当のフィリピン大統領が、柔らかく受け止めた挨拶で返してくださったのでそこは
救いがありましたが、この言葉が都合よく切り取られ世界に発信され、特に中韓が
「日王も反省しているのに政府は歴史の真実を見ない」として利用する可能性があります。
いったい誰がこの挨拶文を書いたのでしょうか?
内容的に関しては、天皇陛下も自虐史観派でいらっしゃるので、読み上げるのに
抵抗感はなかったかと思われますが、日本の国益という観点からして、
困った内容であるし、またフェアではありません。
ひょっとして、また外務省の誰かの筆になるのではないでしょうね?
小和田雅子さんの入内以来20年間、宮中は宮内庁をはじめ、外務省と創価で
埋め尽くされ、小和田反日王朝が出来上がっています。
タイ王室での天皇陛下の晩餐会におけるご挨拶と同じく、小和田恒の(国賊だと
思っているので敬称は用いません)筆になるものでしょうか。
精神と肉体双方の不調も噂されているので、それは分かりませんが、
少なくとも正しい歴史観に則った内容ではないので、やはり小和田の息が
かかった、外務省か創価学会から来た誰かの筆になるものではないかと
懸念されます。
国民が厳しく声を挙げぬ限り、天皇陛下の挨拶は皇太子殿下に引き継がれても
(ゾッとしますが)永久に、日本を不当に貶める言葉の連なりであるでしょう。
反日の国など、世界広しといえど中韓北朝鮮以外のどこにもありません。
それらの国々以外で、日本が自分を悪者にして自虐の言葉を述べる必然性はありません。
それでも、言わせたいのが小和田恒をはじめとする、外務省の売国奴連中なのです。
全員ではありませんが、それが主流で70年間来ました。
原因は無論、GHQの日本弱体化政策に由来し、有能な愛国者は
公職を追放され、外務省にあっても愛国的な立派な人物は冷や飯組で、
その逆の存在が、出世階段を駆け上りその代表格が小和田恒なのです。
となれば、その娘の入内の背後にもGHQに端を発した連綿と連なって来た
日本毀損勢の思惑が動いたと見るべきでしょう。
無邪気な「恋愛」などではなかったこと、今上陛下と皇后陛下の成婚と
同様で、裏ありです。歴然とGHQの仕掛けがあります。
そのことについては別スレッドで細かく例証を挙げ検証したので
ここでは触れません。
ただ、いかに小和田恒に代表される日本壊しの連中が(本来の日本人ではないことも、多いのです)、日本を「悪い国」に仕立てあげようとしているか、タイ王室での晩餐会での天皇陛下の挨拶文が、端的です。
天皇皇后両陛下の「史観」について その背後の小和田的闇=GHQ 《転載自由》
両陛下のタイ国ご訪問に際し、晩餐会の席上陛下がなさった「アジア諸国への反省とお詫び」のご挨拶は、誰あろう当時外務次官であった小和田恒の作文です!
タイ側は「謝罪は要らない」とわざわざ言ってきたのに、「いや、入れさせてくれ」と
ゴリ押しで入れたのが小和田恒なのです。
それに抵抗を示した骨のある外務省員もいましたが、国賊小和田に押し切られました。
今、皇居は実質反日小和田王朝。
こういう男の娘が皇室に入り込み、「病気療養中」と言いつつ、皇室の最も皇室たる要素である神事を放り出している現実を国民はもっと、シビアに見つめるべきでしょう。
天皇陛下のお言葉を表向きご批判申し上げたとしても、その実批判が向けられているのは、実はGHQの皇室・日本弱体化政策への批判でもあるのだぞ、ということです。
天皇陛下の「お言葉」が広義の意味で「言わせられている」ことなど、発想も及ばない視野狭窄の連中が、東宮批判に対しても噛み付いて来ますが愚かでもあれば、彼らは真に皇室と日本のことを考えてはいません。
日本国憲法第4条 「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定
皇室への批判を何が何でも不敬の一言で片付ける視野狭窄の思考停止連中、実は彼らこそが皇室と日本の弱体化への加担者です。なぜなら彼らは皇室に恭順のように見えながら、実は敗戦後GHQの仕組んだ日本衰弱化政策への無自覚なる賛同者であり、情けない追随者だからです。
陛下の(言わせられているかもしれない)お言葉のもう一つの矛盾点。
>日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,
ここで、意味的には明瞭に「九条墨守」を示唆されていますが、憲法という紙切れに書きつけられた「平和」の文字で平和が守れるか。「戦争放棄」という文字で、戦争に巻き込まれないか、という素朴な問いに直面します。
答えは明らかで、文字が国を守りはしません。
「日本国憲法を作り」という述語の主語が「日本は」となっている点に留意。
明らかな虚偽です。虚偽という言葉がまずければ、事実誤認です。
憲法作成者はGHQです。
論議する人はいますが、ことは単純至極であり、マッカーサーが出したマスコミ規制のプレスコードにちゃんと、「GHQが作った憲法」と明記されています。
「日本が平和憲法を作った」などと、他ならぬ天皇陛下の口から発せられた、こんな「大嘘」ないしは、事実誤認をすらっと見過ごしている日本は異常です。病んでいます。
思考停止連中がどう擁護しようと、天皇と皇太子発言は、改憲を党是とする自民党と、安倍政権への真っ向から批判であり、この事自体が憲法違反であるという矛盾を犯していらっしゃいます。
秋篠宮殿下と悠仁親王殿下のご存在に、皇室再生の望みを託します。
1992年8月17日 首相官邸にて、天皇陛下の中国公式訪問に関する有識者意見聴取に出席した小和田恒外務事務次官。
中国訪問は、天安門で孤立した中国救済のために宮沢喜一内閣が
画策したことで、反日的動きがあるところ、常にこの小和田恒の存在あり。
過去記事にすべてを詳述してあるので、お読みください。
天皇皇后両陛下の「史観」について その背後の小和田的闇=GHQ 《転載自由》
追記 案の定、韓国民の反応。
これについて、韓国のネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。
「日清戦争の時に多くの韓国人が犠牲になったことは知っているのか?フィリピンよりも先に、韓国に謝罪して反省するべきだ」
「天皇陛下も反省しているのに、安倍首相は?」
「戦争で犠牲になった人は慰安婦だけじゃない。本当に多くの命が犠牲となった。日本人はなぜ中国や韓国に謝罪できないの?」
「『反省します』とは言わないんだね」
「過去の歴史を記憶しているだけでは駄目。謝罪するべき」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150604-00000042-rcdc-cn
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