皇后陛下の「A級戦犯」ご発言、その「GHQ発自虐史観言語」が他ならぬ日本国の皇后陛下のお口から発せられたことに強い衝撃に打ちのめされた方も多く、他にも首を傾げる要素を遠慮がちに、拙ブログに書き込まれる方が日々急速に増えて来ています。
ネットで囁かれ始めて、3年、4年後に世間がそれについてくることが多いので、このままではまずいのではないか・・・・人心が皇室から離れるのではないかと憂慮しつつ、皆さんは当然「なぜ?」という原因を探るわけですが、むろんベースにGHQ発の日本/皇室弱体化政策があり、その延長線上に、現在の皇室が存在するということで天皇陛下の「先祖に朝鮮人がいる」や「平和憲法護持」発言もその延長線上のことかもしれません。
しかしその他に、皇后陛下の内なる「カトリック的なるもの」の存在を指摘する人も多いようです。
小学校から大学まで一貫してカトリック系の学校でお過ごしで、入内後も曽野綾子さんを通じて修道女との交わり、ご家族は確かご当主を覗いて皆さま、洗礼を受けていらしたかと思います。皇后陛下は未洗礼だと発表されていますが。
言わずもがな、天皇陛下は神道の頂点におわす方で皇居の敷地内に
神殿があり、結界が張られ、毎日絶えることなく神官たちの祈りが捧げられています。
順徳天皇の残された「禁秘御抄」に次の文言があります。
「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」
すなわち・・・宮中内の天皇の義務は何にも先行して神事である、明け暮れに神事を行うこと、決して怠けてはならぬ。
ヴァチカンにヨハネ・パウロ二世法王猊下が英霊を祀ってくださったり、靖国神社存亡の危機を救って下さったのがカトリックの司祭さんたちであることは、双方拙過去記事でも取り上げています。
だから敵対構図で取り上げる意図は全くないのですが、皇居は神道の神域の最たる地であり、天皇陛下はその祭祀王であらせられ日本国神道ヒェラルキーの
頂点にいらっしゃいます。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/5b4dc92c1da90c522cf58f6c36186d43
かたじけなさに涙こぼるるhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/18a73f0ddb323660c7c59c49deabe83b
[1/4]【今上天皇御即位】正殿の儀Celebration parade His Majesty the Emperor
今上天皇陛下ご即位・正殿の儀を拝見すれば、寸分たりとカトリック的要素の混在する余地無き事、自明の理であり、そしてそれが他宗教排除の偏狭な思想からではないこと、容易にお解りのことと思います。
皇室とはかくありて、2675年の男系皇統を保って来たのです。
純粋培養のシャーレの中にこそ、日本の神々はおわす、という言い方で拙ブログの趣旨が伝わればよろしいのですが。
剣璽(けんじ)という言葉も、この際ご記憶願いたいと存じます。
璽は、勾玉(まがたま)です。
剣と勾玉の一対は皇位継承の証です。
そして両陛下の剣璽同座での伊勢神宮ご参拝の日に、ご一家でスキー旅行に行かれ、皇居をお守りしたのは秋篠宮殿下。
皇太子殿下は、剣璽同座の伊勢参拝をないがしろになさったことで、皇位継承権を棄て去られたに等しいのですが、それを両陛下がお赦しになっていることも、国民の困惑の一つです。
東宮側が発する「愛子さまご優秀説」への両陛下のご加担も、いぶかしいことです。
よもやと思われますが、女性宮家創設から愛子天皇の誕生というシナリオが無いことを望みます。それがいかに危険か、過去記事で複数回述べて来ました。
出自ロンダリングした男が伴侶として入り込み、皇室を牛耳る可能性が考えられるからです。皇室乗っ取り説は荒唐無稽な話ではありません。
宮内庁がすでに、外務省創価勢力の小和田カラーに染められてしまいました。
A級戦犯、左翼発の捏造従軍慰安婦の存在肯定と思しき記事。
(Voice 2008年9月号) 158p より転載
上坂冬子〈対談〉鶴見俊輔
>美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して
>「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。
>そのとき、「あなたがこのあいだの講演で 慰 安 婦 の問題を取り上げてくださって、 と て も あ り が た か っ た」とおっしゃった。
皇后陛下の不可解な言動に、困惑する国民がカトリック的なるものをいまだ皇后陛下は胸にお持ちなのではないか・・・・と、そういう意見も多くコメント欄に寄せられ、その左証の一助として、皇后陛下のマ俗にいうマントファッションがローマ法王やカトリック司祭の法衣を模したものではとのご意見と共に三々五々、その画像が送られてきます。
寄せられるご意見は無論、推論の域を出ないのですが、その推論を補強する画像として、ローマ法王の前では皇后陛下はマントファッションをなさっていない・・・・そういう画像もコメ欄に寄せられました。
同じ白い生地のお衣装なのに、ローマ法王のみ前では、マントを慎まれたのではないか、ということは普段のマントは、やはりローマ法王やカトリック司祭の法衣を意識なさっているのではないか、と。
頭のあの小さな円盤型のお帽子も、そういえばローマ法王のかぶりものを彷彿させないでもありません。このお帽子にはそれなりの理由(実のところ納得しがたい)が添えられてはいるのですが・・・・。
といって、何かを断定する記事ではありません。
「A級戦犯」ご発言や、被災地をご訪問にならない皇太子殿下をかばわれるための奇跡の一本松コンサート開催の不可解さ他、理解に苦しむ国民が増え始めていることを憂慮して、寄せられた画像を並べてみます。(奇跡の一本松バイオリンが恰も一本松から作成された如き印象操作がなされていますが、使われたのは魂柱のみで僅か、他は被災地の適当なところから拾ってきた流木。いわば詐欺的印象操作です)
拙稿で開示する全ては、皆さまのご判断に委ねます。
何かを裁断するための記事ではなく、皇室のあるべき姿を思惟するための
一助としての記事です。
白いお衣装でも、こちらではケープをまとっていらっしゃいます。↓
法王がいらっしゃる時は遠慮なさるとしたら、カトリックの法衣を意識なさった
ファッションなのかもしれませんが・・・・・?
あと、指摘されているのは喪服や、服喪のためのお帽子は国際的に
スタンダードな基準があり、喪の場で、基準破りのファッション性の高い
お衣装に対して疑問がかなり出されているようです。
たとえば、和服の喪服のアレンジは、もしなされたら奇妙なものですが、
西洋圏で定番の喪服と帽子を崩すことは、同じく型破りのある意味
奇妙な非礼に属します。
それと、国際プロトコルでは遥かに格下の司祭に深々とお辞儀なさったことも、物議を醸しました。それは天皇陛下の権威をも損ねる行動であったからです。
カトリックへの傾倒が、こういう形でつい出てしまった説。
あるいはお年を召して、「本卦(カトリック)還り」なさったのでは説。
国際プロトコルで頂点にいらっしゃるのは、ローマ法王、エリザベス女王、そして天皇陛下でいらっしゃいます。ローマ法王の法衣については、白人圏が
日本の数倍敏感です。法王の出で立ちの喪服で現れたらそれは
呆れられ、失笑を買うでしょう。
いいえローマ法王の法衣ではない、単なるマントです。と
言うなら、マントを脱ぎもせず葬儀の席に参列と、これまた
非礼極まることになってしまいます。(衣服と一体化したマントであってもです。
それを承知で喪の場にいらっしゃるということは、脱がないのと同義でしょう)
【追記】上記のお辞儀に対して、お棺にお辞儀なさっているのではないかと
コメントを頂きましたが、お棺への「ご挨拶」はこちら↓で、上記は司祭に対してです。
西欧圏の葬儀において、お棺に礼をする習慣があるのかどうか知識がありません。画像で拝見する限りは、皇后陛下以外なさっていませんね。(左端の男性はたまたま俯いた瞬間か、あるいは低頭でお辞儀ではありません)
「気持ち」を表明するのだから、いいではないかという意見と、皇族は
行く先々のプロトコルで厳密に動かれる存在なので、その場の習わしは
守るべきという二説がありそうです。
普通の喪服、あるいは黒服、普通のお帽子ではなぜいけないのでしょうね?
とりわけ海外では、皿帽子とマントの喪服は認知されているわけではないので、懸念を示される方がいらっしゃるようです。
こういうお衣装を拝見すると、単にマントがお好きなだけかと
思ったりもするのですが、ローマ法王風のお衣装は
マントというよりはケープcapeですね・・・・・。
ケープの長いのがマント。
こちらの丈の長い足まで覆うのは、正式にはクロークと申します。
丈の長めのケープは、ケープ・マントという言い方をすることもあります。
こちらは、花嫁衣装? 何となくカトリックを連想するのは
気のせい?(今上陛下とのご成婚の時の写真ではありません)
法王ふうケープではありませんが、同じく国民の多くを困惑させた画像にはこちらがあります。海外からの賓客を玄関先にもお迎えにならない雅子妃が、仲の良い反日国オランダ国王夫妻にはお迎え、晩餐会、お見送りと出られ、そして
もはや、歌会始め、園遊会、赤十字大会などなど意図的懈怠であることを国民は気づかざるを得ないのに、なにゆえこうも雅子妃をかばわれるのか、と。
ご着席なさる天皇陛下を無視、雅子妃と語り合う・・・
雅子妃のこういう不敬は、陛下のお見舞いにさえうかがわぬことから驚きは
しませんが、皇后陛下がそれにお付き合いなさいますか・・・・
もはや機能停止した皇太子殿下ご一家の、停止の原因が奈辺にあるか定かならず、しかしその原因の考察無くしては改良も無い・・・・・ということで、このところ拙コメント欄に、ひたひたと押し寄せつつある疑義・・・・・・少しずつ形成されつつある世論・・・・を紹介する意味で、アップさせて頂きました。これをもって、東宮の有りさまが皇后陛下のせいだと断定するわけではないこと、ご理解ください。
幾つかある試論・仮説の一つに過ぎません。
定住読者の方々は、拙ブログ主がごく最近まで皇后陛下賛美、そして非難に対しては頑ななまでに擁護の立場を取ってきたか、よくご存知のことと思います。
寄せられるコメントに、一番困惑しているのは拙ブログ主かもしれません。「おかばいすることが、日々難しくなって来た・・・・」それが偽らざる心境です。
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http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/2036af29dcb72e04e7eaf91957923ccb