2010-03-05 付けの過去記事なのですが、「バンクーバーの朝日」という映画が封切られているようなので、ひっかけて再アップしておきますね。
ツイートゼロwwwww
BBブログの当時の不人気ぶりが忍ばれますwwwww
こういうコラムを書いてる間は朝日新聞も大丈夫かしら・・・
でも、どっこい・・・
五輪もどうやら一段落・・・
でも小骨が喉にひっかかってるような思いがあります。
まずバンクーバー五輪のコンセプトが「先住民との融合」ですが
現状は、先住民たちは一か所に隔離され、融合とはほど遠い。
アル中も多い、とカナダに住んでいたことのある人から
聞きました。
でも、たとえ建前にせよ、こういうことを契機に問題点が
浮き彫りになってきたらいいことなのかも・・・
と思い返す一方、お祭り騒ぎの最中に、先住民という負の歴史を抱えた
祭典であったこと、思う人もそうはいないような気もするし。
朝日新聞が入場式の時に岡崎選手が掲げた日の丸の画像を載せて
見出しが「目立ちたがり屋」であることに、まあどんだけ
日の丸が嫌いなのかしら、と驚いたのだけど。
asahi.comのほうね 本紙のほうには、一面に日の丸さえ影も形もなかったように記憶してますが。
同じくasahi.comに載った論説があまりに牽強付会(こじつけ)論なので
こんなの無視~、と思ったけど、これも「小骨」で気持ち悪いので
書いちゃいます。
記事はこちらだけど
タイトルが 薄らぐ「日の丸」意識
もう見え見えでしょう? 中身を読まなくても論旨が。
「薄らぐ」ではなくて「薄らがせたい日の丸意識」 が本音なんですわよ。
以下、原文は黒字、青字がべべこです。
今回の五輪は少し様子が違う。「国家」をあまり意識しない大会になっているのだ。
あらぁ、そうでしょうか。そう思います?
浅田真央選手への点数操作って、「国家」ではなく誰だったのかしら?
フィギュアスケートだけに限ってもそうだ。ペアの川口悠子は2009年1月にロシアの国籍を取得して、ロシア代表として出場、4位に入賞した。長野五輪でエレーナ・ベレズナヤの滑りにあこがれ、コーチのモスクビナに何度もファクスを送り、この道にたどり着いた。越えてきたものは「苦労」などという言葉では表しきれないだろう。「でも、私はコーチがアフリカ人ならアフリカまで行ってましたね」
ボーダー(国境)を越えることに特別な意識はなかった。
この方、もともと国家意識より、自分のスケート先行ってことで、
個人の価値観の領域。一般論としての「日の丸意識が薄くなった」につなげるのは、
論点が違うのではないでしょうか。
父が米国人、母が日本人のキャシー・リード、クリス・リード姉弟はアイスダンスで日本代表として出場した。着物や扇子を小道具にした演技に会場が沸いた。
だから? これがボーダレスの証? 母親の国籍をたまたま彼らが所有していて、
日本国内には力量的に彼らを上回るペアがいなかったからに過ぎません。
彼らがハーフでボーダレスだから選ばれたわけではありません。
個別事情を一般論にすり替えるのは、川口さんのケースと同じ。
女子には米国代表として16歳の長洲未来が出場。両親ともに日本人だが、米国に住み、米国人としての出場だ。「私は日本式のルールで育てられた。日本のファンにも応援してほしい」
あの、「米国人として」出場してるのでしょう?
国境なき人としての出場ではないことをお忘れなく。
スポーツのボーダーレス化は歓迎すべきことだろう。スポーツという言語によって
国境がなくなっていく。
なくなってませんわ。オリンピックでは、相変わらず、どの国が幾つ
メダルを取ったかが大問題、ロシアの大統領はメダルが少ないって
ヒステリー起こしてますわよ、国民の前で。
イ・ミョンバク大統領も大はしゃぎ。
日本はメダルが少ないってことで、傾向と対策論で喧々囂々ですけど。
報道を見てないのかしら、記者さんのくせに。
その舞台がバンクーバー五輪というのも特別な意味があるのかもしれない。カナダは移民による多民族国家だ。モザイク社会とか、サラダボウルのような社会と言われる。サラダボウル社会とは、それぞれの民族がサラダボウルという器の中に、それぞれを主張しながら、存在しているという意味だ。いろんな野菜はカナダというドレッシングをかけても、調和しながら、にんじんとしての中国、キャベツとしての韓国、大根としての日本という個性を失わない。さらに先住民族がいる。
カナダを何か理想世界のようにおっしゃってますが、先住民はいまだ
隔離状態。開会式の時にのみ引っ張り出してくるその欺瞞をこそ
つくのが報道マンの役目でしょうに。
サラダ云々は言葉のレトリック、現状を意図的に無視してますね。
にんじんの中国が本当に、にんじんならば、韓国が真実、キャベツなら
問題はありません。混ぜ合わせたら、美味しいサラダが出来上がる
でしょう。でも、実体は農薬まみれのにんじんであったり、
キャベツに見せかけた毒キノコだから、それが問題なんでしょうに。
五輪で国は深い意味合いを持たない。浅田、安藤、鈴木はその重圧とは無縁のままフリーまでの演技を終えてほしい。(編集委員・西村欣也)
「国は深い意味合いを持たない」 という結論に持って行くための
詐欺的文章、お疲れ様でした。
最後に質問です。
「竹島も対馬も韓国のものだ」
と言い張っている人たちにはどう答えるのでしょう?
「国は深い意味を持たないんですよ。ボーダレスなんですから」
とおっしゃるのかしら。
で? 相手は「そうですよね」って、にこにこ納得?
鳩山さんと同じお花畑的妄想ですわ。
バンクーバーといえば、戦前それこそ日本からの移民の若者たちで
結成した「Asahi」と命名した日本人の野球チームがあったそうで、
差別と偏見の壁を乗り越えて、カナダの人たちからその
頭脳的プレー、紳士的な姿勢、体格の差を乗り越えた圧倒的
強さを讃えられるようになったそうで、今も記念館には
彼らの偉業を讃える資料が展示されているそうですの。
同じ「朝日」でもえらい違い
でも、彼らがそこに至るまでの道筋には言うに言われぬ苦労と
差別に苦しむ日々。大戦開始と同時に、強制収容所へ閉じ込められ
血のにじむ思いで築き上げたささやかな家も舟も財産も全て
没収。大戦終了後も、一か所に固められ、かつての居住エリアには
住まわせてもらえず、追い払われた格好。
追い払われた彼らの居住エリアが、オリンピック開催地から
数百キロ離れた町です。
・・・・外国人が外国に「住まわせていただく」ということは
結局、残念ながら大なり小なり「差別」に向き合う、国民ではないが
ゆえの理不尽さを担い耐えるということではないでしょうか。
もう3世になっていらっしゃいますが、けれど彼らは住まわせてくれる
カナダに対して恨み事はいわず、黙々とまた働きつづけ家を作り
平和に暮らしています。
こういう日本人を誇りに思います。
かれらはカナダに対して「過去に、よくもあんなことをした、こんなことを
された」とは言いません。
「鬼畜」というごとき言葉で罵りません。
「補償しろ、財産を返せ」とも言いません。
「差別を受けた、どうしてくれる」と、在カナダ特権を得るごとき下品さも
ありません。
「土下座しろ、詫びろ」とも騒ぎません。
水に流す、という言葉を持つ国民です。
溺れている犬は棒で叩け、ということわざを持つ国とは
精神構造が違うんです。
同じサラダボールの中の野菜どうしにはなり得ません・・・。
参政権、反対です。
しかし、「日本人の心ばえ」を描く映画に、なんで少女時代から「韓国への日本の
暴虐を描かない日本の教科書はだめ」とかアジ演説を少女誌でブチアゲていた
朝鮮の女性を使うのでしょう。この朝鮮の女性は、在日若手ヤクザで
形成されている関東連合との関わりでも有名なのに。
確かバックに朝鮮総連があるはず。