旧稿ですが、ご命日にちなんで再掲させていただきます。
【追記】新たにご訪問の皆さま、ツイートをありがとうございます。お陰様で日々増えています。この記事は西村幸祐先生の取材記事を拝借して構成したに過ぎません。西村先生ありがとうございます。実は中川先生のご命日と知らず、何かせかされるような思いで、記事を書いたのでした。日をまたいでアップは翌日になったかと記憶していますが。
「中川昭一がいたら『日本を売るようなまねはやめていただきたい』と言うだろう」麻生太郎
「花は一生懸命咲くので好きだ」中川昭一
「庭いじりが好きだった夫が、東京の自宅の庭に密かに植えていたチューリップが蕾をつけ、花を咲かせたときは、本当に嬉しかったんです。
主人が植えたことに気づかなかったからです。そして、こんな寒い春でもチューリップは咲くものだと感心しました」(中川郁子)
軽薄で愚かな某夫人のことを、必要があってしばらく追っていたら気が滅入り・・・ふと花に視線が行くように、美しく聡明な夫人の姿が脳裏に浮かびました。
分を心得、静かに中川さんをお支えしていた中川郁子(ゆうこ)夫人。
余計なことは語らず、出しゃばらす・・・
政治家への道を歩み始められました。
西村幸祐氏のインタビューを受けた時の、抜粋です。
中川ゆうこ:正直申し上げて、昨年はここまで私が政治に関わることになるとは想像もできませんでした。
10月3日の主人の突然の死は、主人の総選挙での初めての敗北の後に襲ってきた悪夢のようなものでした。だから、冷静に何も考えられない日々が続いていました。
中川ゆうこ:じつは、亡くなる8日前の9月25日には友人の個人病院の先生の所で簡単な検査も受けています。そのときも、どこも悪いところはないという診断で、主人はとても喜んでいました。
主人は、大きい病院と個人病院を交互に訪れ、まめに健康診断や検査をしていたのです。ですから、主人が突然ああいうことになり、家族は本当に大きな衝撃だったんです。
最後の健康診断をした友人の医師の方は、それまでの色々な検査の結果や司法解剖の結果を見て「本当に大きなストレスや哀しみがあると心臓が止まってしまうことがあるんだ」と慰めてくださいました。
主人がお酒を控えていたのも事実です。検査では全然発見できなかったのですが、やはり血管の古くなっている部分などがストレスなどで機能しなくなったのではないか、循環器系障害の突然死ということです。
今では、主人の死を本当に世の中には判らないことがあるということではないかと、自分を納得させています。
西村幸祐:先生の去年夏の衆院選落選の原因は、やはり去年の2月14日のイタリアで開催されたG7財務大臣・中央銀行総裁会議の記者会見の報道だと思います。
不思議なのは、なぜ、あのような「酩酊状態」になったのか、なぜ、それにもかかわらず記者会見に臨んだのかという原因究明がされないで、一方的に面白おかしく「酩酊状態」が報道され続けたことです。
当時、私はニュース解説をしているCS局「チャンネル桜」の番組で「あの時点で関係者や会見前の食事に同席していた人や新聞記者を全部取り調べるべきだ。特に新聞記者は公の場でどんなことが起きていたのか説明するべきだ」と言いました。
中川ゆうこ:麻生内閣で財務大臣に就任後すぐに世界金融危機が起きました。それまでも緊張感をもって仕事をしていた主人が、本当に異常な緊張感で連日仕事に就いていました。
もちろん日本の危機、世界の危機ですから、大変緊張して仕事に向かうのは当然といえば当然ですが、私は家族として主人の体調がとても心配でした。
やはりマーケットが気になるので、毎日世界の市場動向を気にしていたし、役所からの書類が自宅のポストに来るのですが、とても気にして何回も階段を降りて見に行っている姿を見ていました。
これは本当に普通の状態ではない。緊張が今までになく高まっているということを私でも感じました。農水大臣のときも、その時その時で緊張感のある場面を私も一緒に見てきましたが、今度ばかりは本当に寝ていないのではないかと思う毎日でした。
ヨーロッパのマーケット、ニューヨークのマーケットと、世界のマーケットを見ながら何回も居間に降りてまだ役所の書類が届いていないか確認したり、赤いサインペンでマークしながら書類に目を通していたので、朝食も居間で食べることも無く、私は書斎におにぎりを運ぶ毎日でした。
そういう状態が続く中で、一昨年12月の予算委員会でしゃっくりが1週間止まらないという状態になったんです。懇意にしていた鎌倉建長寺の高僧の方が心配してくださり、緊張感とストレスが非常に溜まっていて起こる症状だと仰って、色々アドバイスをしていただいたこともありました。
その後また1週間しゃっくりが止まらないという状況が2月にもあり、ちょうど治ったか治らないかというときにローマ出張があったので、何か悪いことが起こらないかと心配していました。しかし、主人は非常に張り切り、十分な下準備をしてイタリアへ出かけました。
そのとき、主人はIMFへの10兆円の投資のことが頭にあり、私にはその話はしませんでしたが、「テレビを必ず見ておくようにね」と言われたのです。これまでニュースを見ておくようになどと、言われたことがあまりなかったんです。つまり、それだけ、主人は昨年2月14日のG7財務大臣・中央銀行総裁会議に賭けるものがあったのだと思っていました。
西村:あの「酩酊会見」のニュースには本当に驚かれたのではないですか。
中川ゆうこ:はい。主人があれだけ全精力を注いで臨んだ国際会議だったので、私も気にしていました。そうしたら、朝のニュースをたまたま最初に息子が見て「大変なことになっている。パパが変だったよ」と。次のニュースを見てインターネットで確認し、これは大変なことになっていると。
しかし、日本では大騒ぎになっていたにもかかわらず、成田から公用車に乗ってすぐ掛けてくれた電話で「今着いたからね。テレビ見てた?」と言うのです。「大変なことになっているわよ」と私が言ったら、主人には「何言っているんだ」と逆に不審がられたんです。本人は何も知らなかったんです。
西村幸祐:財務省の大臣官房や財務省のお役人、大臣秘書官たちが何も情報を取っていないし、どういう報道があったのかフィードバックもしていません。危機管理の点からも考えられないことですね。
中川ゆうこ:強いて情報を教えなかったのかどうか、それは私には分かりません。「何をニュースでやっているんだ、俺はちゃんとやってきたじゃないか」と事情の分からない主人は電話でそう言いました。
主人はいみじくもIMFのストロスカーン専務理事が世界の記者団に向かって「日本による資金融資額は人類史上過去最大の貢献である」「日本からの資金援助は今回のサミットでの最大の成果である」と感謝を示したように、非常に達成感をもって帰ってきたわけです。
ところが、会見報道で大変なことになっていたので、「とりあえず私に聞くより周りの誰かに聞いてみて」と私は言いました。
私が最初に見たのは6時か7時のニュースで、主人が飛行機に乗って帰ってくる間誰も分からなかったのは不思議だと思いました。しかも出迎えの人たちがいらっしゃったと思うのですが、その方たちは何も知らなかったのでしょうか。本当に狐につままれたような気がします。
西村幸祐:奥様はあのとき、玄関で中川先生を励ます言葉をかけました。けっこう世の主婦たちの間で評判になったんです。
中川ゆうこ:テレビクルーの撮影が終わって電気が消えたから録音されていないと思って、主人を励ましました。ところが、娘に「それでも音は拾っているのよ。ママは本当に何も知らないんだから」と怒られました(笑)。
確かに、主人が亡くなった後、皆さんが口を揃えてあの会見事件について指摘したのが、仰るように「企業だったら、徹底的に危機管理をする」「あんな状態で記者会見に絶対に出さない」という憤りでしたね。
あのとき決して中川はお酒を飲んでいませんでした
玉木財務官は昨年12月に行われた高校の同窓会で、「。それを僕は役所を退官してから、次のライフワークとしてそれを証明していきたい」と話をされたそうです。
西村幸祐:そういう発言は貴重ですが、なぜ、退職後でないとそれを証明できないのかという疑問が残ります。それこそ、本来はマスコミが追究するテーマですよ。
恐らく玉木財務官はあの「酩酊会見」の理由がお酒でないことを確信しています。ですから、直前に食事を一緒にした読売の記者や他の記者たちをメディアが後追い取材しないのは非常に不思議です。
中川ゆうこ:私もマスコミがやはりおかしいと思ったのは、家の前であの直後本当に取材陣がすごかったんですが、少し収まったなという頃にまたバチカンで不祥事を犯したという話が出たことです。
バチカン放送局の神父様がわざわざお手紙をくださって、「自分が取材を受けました。取材を受けたときに、中川さんは全く普通にしていました。ご主人は歴史が好きなので、ローマに関する本もたくさん読んでいるので、その話で盛り上がりました」と伝えたと。
「自分が注意したのは、他のガイドがすごくうるさかったのでその人に注意しましたが、中川さんは全く関係ありませんでした。マスコミの取材にはそう答えたのに、全く違う報道が行われている」
「事実と違う報道が日本でされているのですね」というお手紙を頂いたのです。
2月14日の記者会見から続いた主人を非難する報道は、やはり、間違いなくマスコミの偏向報道だと私は思っています。
西村幸祐:中川先生は以前から何度も報道被害を受けています。
5年前の1月12日の朝日新聞は、安倍幹事長(当時)と一緒にNHKに政治圧力を掛けたと捏造報道を行いました。あのときも、私は雑誌などで報道テロに等しいやり口を解明し反論しました。
安倍さんも中川さんも、日本が嫌いな人たちにとって目の上のたんこぶのような存在でしたから。
中川ゆうこ:偏向報道と言えば、昨年の衆院選挙も酷かったんです。
主人が選挙区を回っている様子を報道したものですが、その選挙区のお爺さん、お婆さんと主人は、昔からの顔見知りで子供みたいな気持ちになって言葉を交わしていました。
そのときの主人とお爺さん、お婆さんの会話が、主人が地元で見限られているような印象を与えるように、言葉の一部分だけをカットして報道されたんです。
「こういうところもあったけど、でも私は一生懸命やるから」と主人が言うと、「こんなときに来てもね」と返答されているように、ずいぶん作り上げられて報道されました。
あれでは取材された側も驚きます。「こんなときに」という言葉のニュアンスはその人が話した内容を全部聞けば分かります。本当は哀愁に溢れる言葉だったのに、そこだけ使用して、色々な番組で繰り返し繰り返し報道されました。
選挙期間中というのはネガティブキャンペーンをしないのがルールのはずですが、去年の衆院選は選挙の前の日までそういう報道が行われていました。
中川ゆうこ:失意の日々を過ごしていたのではないかと多くの方が仰いましたが、少なくとも家ではそんなことはなく、非常に前向きに次にもう1回選挙に出る意欲を話していました。そして、選挙までは一国民として日本のために仕事をしたいといつも言っていました。
それは何かというと、主人はずっと水資源の問題にも携わってきて、今、世界が水の危機を迎えるし、日本にも水の危機がくることを確信していました。
しかし、逆に今、GDPが中国に抜かれるであろう状況の中で、日本を救うのも、この水資源問題だし、水ビジネスを国家の基幹産業として考えていました。水資源や水質の研究機関を党派を超えて意識ある政治家の人たちが手を携えて作り、新しい国家目標の1つにできるのではないか。そんなことをよく言っていたんです。
日本の豊富な天然の水と技術力で、超純水が作れたり、食料品に含まれる水の価値が必ず日本のブランドの力になると信じていました。そして、水資源を利用するインフラ整備に本格的に取り組むことで新しい産業も生まれるはずだと常々私に語ってくれました。
また、政治家という立場を離れても、自分が何か民間で水資源に関わる仕事をさせて頂くことができるのではないかと、主人は庭に出るのがすごく好きだったので、庭でそういう話を私と交わしていました。
私も環境問題のNPOを2年前に立ち上げたので、主人が水問題に熱心なことから、私も主人を応援するし、一緒になにかやっていこうという話を亡くなる直前、3日前にもしていたんです。
プライベートでは、2人で旅行に行くことなど全くできなかったので、なくなった10日後には旅行へ行く計画も立てていました。
中川ゆうこ:主人が政調会長になったときの最初の予算委員会の質問で、コンドラチェフの経済理論についての質問が良かったと主人に言うと、とても喜んでくれました。
中川ゆうこ:今の日本は大変なときを迎えていると思います。大変だけど、産みの苦しみのときではないでしょうか。
そんな話を先日、中山恭子さんがされていたのですが、本当にそんなときに北海道には福寿草という花があって、春が来たのだなと北国の人は思うんです。雪の下に芽を出して、小さくて可愛らしい花ですが、しっかりと健気に咲いている福寿草のことを思い出します。
冬の時代でも必ず芽を出すんです。そのように日本が再生、蘇ることを私は信じています。
主人が命を賭けて訴えていた「日本が危ない」というメッセージに、私なりに応えていけるのではないかと考えています。
ありがとうございます・・・中川昭一さん。感謝の言葉を過去形にはしたくないのです。