女性宮家の設立に関しては、まだ深く考えこんでいないので
雑感の域を出ません。
ただ、あれこれの意見を散見するに「旧皇族方を家族養子の形で皇籍にお迎えする」という案もありかな、と。
もし「男系」を守りぬこうとするならば、ですが。
宮家の最大の存在理由である「祭祀」を執り行っていただくにはそれもよろしいのではないでしょうか。
まず皇室とは何かというそもそもの存在基盤が「象徴天皇」という言い方で
曖昧になっている点を挙げたいと思います。
曖昧さの発端は終戦時のGHQ政策ですね。祭祀が皇族の「私的行為」にさせられてしまった。
本質は日本国家の精神的屋台骨がかかっているごとき重大事なのですが。
いや重大事であるからこそ、「マッカーサー政権」はプライベートな行為に
「格下げ」してしまったわけです。
しかし祭祀・・・神事の執り行いこそが天皇家の最大責務であると当の
天皇家が宣言していらっしゃいます。
84代天皇・順徳天皇の残された「禁秘御抄」に次の文言があります。
「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」
すなわち・・・宮中内の天皇の義務は何にも先行して神事である、明け暮れに神事を行うこと、
決して怠けてはならぬ。
天皇家のraison d'etre存在理由は、あらゆる近代的合理思考から特殊に離れたところに
あるという観点から捉えないと皇室は解りません。
日本人の源感性とも言うべき「神道」を抜きには皇室は語れない。
とりあえず宗教「枠」としての狭い感覚で捉えるべきではありません。
神道というよりは日本人の精神性の根底と言い換えたほうが解りやすいかもしれませんね。
キリスト教徒であろうと仏教徒であろうと、日本人が心の基礎に持っている何か、です。
そもそも神道は宗教概念からは逸脱します。それは「教」ではなく「道」です。
日本人が日本人であるための自立の精神要素とでも申しますか。
ここを否定したら、究極は皇室不要論に行き着かざるを得ませんし、それはそれで
一つの「論」であることは認めつつ、しかしながら皇室不要論は
日本の精神性の放棄ではあり、放棄をよしとするならそれはそれで
一つの考え方ではありましょう。
現在の日本は肯定とも否定ともつかぬ曖昧ゾーンで皇室という形態を
存続させています。しかしながら、向こう半世紀近くはとりあえず安泰とは言いながら、
天皇陛下のご高齢、ご不調そして宮家の絶滅という現実が控えていますから、そろそろシビアに考えるべき時期には
差し掛かったのではないでしょうか。日本国民がもし皇室の存続を
望むなら。
天皇皇后両陛下の表向きの過重なご公務のみが喧伝されていて、宮中の奥深くで執り行なわれる
神事に費やしていらっしゃる天皇陛下と、それをお支えする皇后さまの大変さは
言われません。表に見えないだけで、外せない責務としてそれはあります。それも
年間を通じて膨大な祭祀です。
神事をニグレクトなさる皇太子殿下のご姿勢をよしとするか否か。
それを考えることが究極の皇室論でしょう。
理屈ではない、現代的価値観の範疇外に皇室はあります。
2千600年余も続いてきたある特殊価値観です。
しかも男系を固く守って来た。それを守りぬくのか変えるのか。
わりに解っていない人が(政治家にさえ)多いようなのですが、男系とは何か、女系とは何か。
たとえば愛子さまが天皇として立たれるとする。愛子様は男系です。
しかしながらそのお子様は仮に男子であったとしても女系になります。
これはお分かりでしょうか。
母親の血を承けて皇室につながるなら、それは男子であっても
「女系」となります。すなわち愛子さまの代で2千600年になんなんとする
ある意味で日本の歴史は終焉を迎えます。
ここでは女性天皇の是非、男系女系の是非は述べません。単に事実として、これまで日本人は2千600年の長きにわたり
男系にこだわり抜いてきた。時には皇位継承者に苦慮して、皇室のお血筋を承けた男系天皇をお探しして
来た。
現代的感性で受け止めるなら、さしたるこだわりでもなさそうです。しかしながら
皇室とは現代的知性や理屈を超えたところに存在し、それが長きにわたり日本民族の
紐帯の要となって来たのは現実です。
2006年に寛仁親王が語られた次のお言葉がその辺の消息を端的に
伝えてくれています。
「民族の知恵ということで言えば、今回の議論では、男女平等とか、男女共同参画といった
考え方もあるようですが、それは日本国民が守っていかなくてはならない民主主義の中の
ひとつの規律です。しかし、そもそも皇室というものは、そうした民主主義の規範内に
ぴたりとおさまる存在ではない、ということも忘れてはなりません」
「皇室というものはそういった国民の規範からわざと外して、別格としてある。これまた大和民族の
知恵だろうと思います」
短いお言葉ではありますが、青文字で示した部分が畢竟、皇室の存在意義であり、その
意義を尊重、守り抜いてきたのがわたしたち日本人の古代からの知恵であったわけです。
その連綿と引き継いできた知恵を今後も引き継いで行くのか行かぬのか、
それが皇室論の要でしょう。
神事を外し、特殊性を抜き取れば単に王室と変わらぬことになります。
それでいいのだろうか、という論議。
敢えて結論は申しません。皆さまのお考え一つです。
紀元前660年に大和に都を開き初代の天皇として立たれた神武天皇のそれは
神話か史実かはかるすべもなく、しかしながら天皇家は連綿と神話の中の
一族でいらした、これは事実。
その神話がどうやら崩れ去る危機にあるのが現在でしょう。
崩れてよしとするのか、それではいけないのか。
じっくり考えてみたいところです。
『備考』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%B3%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87
女系天皇(じょけいてんのう)は、日本において母のみが皇統に属する天皇を指す呼称である。母系天皇と称されることもある。
語句の類似から、単に女子の天皇を指す女性天皇と混同されることも多いが、皇統についての「女系天皇」と、天皇個人の性別についての
「女性天皇」とは異なる概念である。
『古事記』、『日本書紀』やその他歴史書の記載によれば、
日本の皇統は初代神武天皇から現在の第125代今上天皇まで男系の血筋のみで続いてきたとされる(いわゆる「万世一系」)。
その信憑性については諸説あるが、少なくとも「高群逸枝(民俗学者)が古代は母系制であったと主張している」というのは誤認である。
高群が提示した概念は「父系母族制」という名称の通り、母権的であってもあくまで父系(=男系)であった)。
神武天皇以来、男系で続いてきたことを万世一系とする立場からは、女系天皇は即位しても神武天皇以来の皇統に属さず、
その結果として日本史上初の王朝交代が生じる、という意見も出されている。
・・・・・・
ものすごく粗っぽく言えば、「万世一系」という「神話」を日本人が信じ続けるか、信じ続ける
「ふりを続ける」かですね。ふりをする、はネガティブな意味で言っているわけではありません。
ある理念ないしは日本的美意識を守るに神話を奉ずることが必要なら、神話を大事にすればいいだけの話です。
繰り返し述べているように、皇室はもともとが常識の範疇外のご存在なのですから。
理屈では割り切れぬご存在をなにゆえ日本人がかくも長きにわたり奉じてきたか
そこをじっくり考える必要があるようです。
象徴天皇の「象徴」は、戦勝国が勝手に押し付けてきた概念であり
それを、後生大事に永遠に守る必要はないでしょう。(九条墨守も然りだけど)
「象徴」のまま、なあなあ状態でズルズル移行していくのか
「日本国民の絆のかなめ」として皇室を仰ぐのか、態度を明確にすべし、と問いかけられているような
時機に差し掛かっているようです。
神武天皇(じんむてんのう 庚午年1月1日(紀元前711年2月13日?)〜 神武天皇76年[1]3月11日(紀元前585年4月9日?))は、
日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇である(古事記、日本書紀による)。
日本書紀によると、在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日(紀元前660年2月18日?)〜 神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日?)。
『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。
神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。
天皇が即位した年月日は、西暦紀元前660年2月11日と比定される。これにより、2月11日は日本が建国された日として、
明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。紀元節は昭和23年(1948年)に廃止されたものの、昭和42年(1967年)には建国記念の日として、
祝日とされた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
雑感の域を出ません。
ただ、あれこれの意見を散見するに「旧皇族方を家族養子の形で皇籍にお迎えする」という案もありかな、と。
もし「男系」を守りぬこうとするならば、ですが。
宮家の最大の存在理由である「祭祀」を執り行っていただくにはそれもよろしいのではないでしょうか。
まず皇室とは何かというそもそもの存在基盤が「象徴天皇」という言い方で
曖昧になっている点を挙げたいと思います。
曖昧さの発端は終戦時のGHQ政策ですね。祭祀が皇族の「私的行為」にさせられてしまった。
本質は日本国家の精神的屋台骨がかかっているごとき重大事なのですが。
いや重大事であるからこそ、「マッカーサー政権」はプライベートな行為に
「格下げ」してしまったわけです。
しかし祭祀・・・神事の執り行いこそが天皇家の最大責務であると当の
天皇家が宣言していらっしゃいます。
84代天皇・順徳天皇の残された「禁秘御抄」に次の文言があります。
「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」
すなわち・・・宮中内の天皇の義務は何にも先行して神事である、明け暮れに神事を行うこと、
決して怠けてはならぬ。
天皇家のraison d'etre存在理由は、あらゆる近代的合理思考から特殊に離れたところに
あるという観点から捉えないと皇室は解りません。
日本人の源感性とも言うべき「神道」を抜きには皇室は語れない。
とりあえず宗教「枠」としての狭い感覚で捉えるべきではありません。
神道というよりは日本人の精神性の根底と言い換えたほうが解りやすいかもしれませんね。
キリスト教徒であろうと仏教徒であろうと、日本人が心の基礎に持っている何か、です。
そもそも神道は宗教概念からは逸脱します。それは「教」ではなく「道」です。
日本人が日本人であるための自立の精神要素とでも申しますか。
ここを否定したら、究極は皇室不要論に行き着かざるを得ませんし、それはそれで
一つの「論」であることは認めつつ、しかしながら皇室不要論は
日本の精神性の放棄ではあり、放棄をよしとするならそれはそれで
一つの考え方ではありましょう。
現在の日本は肯定とも否定ともつかぬ曖昧ゾーンで皇室という形態を
存続させています。しかしながら、向こう半世紀近くはとりあえず安泰とは言いながら、
天皇陛下のご高齢、ご不調そして宮家の絶滅という現実が控えていますから、そろそろシビアに考えるべき時期には
差し掛かったのではないでしょうか。日本国民がもし皇室の存続を
望むなら。
天皇皇后両陛下の表向きの過重なご公務のみが喧伝されていて、宮中の奥深くで執り行なわれる
神事に費やしていらっしゃる天皇陛下と、それをお支えする皇后さまの大変さは
言われません。表に見えないだけで、外せない責務としてそれはあります。それも
年間を通じて膨大な祭祀です。
神事をニグレクトなさる皇太子殿下のご姿勢をよしとするか否か。
それを考えることが究極の皇室論でしょう。
理屈ではない、現代的価値観の範疇外に皇室はあります。
2千600年余も続いてきたある特殊価値観です。
しかも男系を固く守って来た。それを守りぬくのか変えるのか。
わりに解っていない人が(政治家にさえ)多いようなのですが、男系とは何か、女系とは何か。
たとえば愛子さまが天皇として立たれるとする。愛子様は男系です。
しかしながらそのお子様は仮に男子であったとしても女系になります。
これはお分かりでしょうか。
母親の血を承けて皇室につながるなら、それは男子であっても
「女系」となります。すなわち愛子さまの代で2千600年になんなんとする
ある意味で日本の歴史は終焉を迎えます。
ここでは女性天皇の是非、男系女系の是非は述べません。単に事実として、これまで日本人は2千600年の長きにわたり
男系にこだわり抜いてきた。時には皇位継承者に苦慮して、皇室のお血筋を承けた男系天皇をお探しして
来た。
現代的感性で受け止めるなら、さしたるこだわりでもなさそうです。しかしながら
皇室とは現代的知性や理屈を超えたところに存在し、それが長きにわたり日本民族の
紐帯の要となって来たのは現実です。
2006年に寛仁親王が語られた次のお言葉がその辺の消息を端的に
伝えてくれています。
「民族の知恵ということで言えば、今回の議論では、男女平等とか、男女共同参画といった
考え方もあるようですが、それは日本国民が守っていかなくてはならない民主主義の中の
ひとつの規律です。しかし、そもそも皇室というものは、そうした民主主義の規範内に
ぴたりとおさまる存在ではない、ということも忘れてはなりません」
「皇室というものはそういった国民の規範からわざと外して、別格としてある。これまた大和民族の
知恵だろうと思います」
短いお言葉ではありますが、青文字で示した部分が畢竟、皇室の存在意義であり、その
意義を尊重、守り抜いてきたのがわたしたち日本人の古代からの知恵であったわけです。
その連綿と引き継いできた知恵を今後も引き継いで行くのか行かぬのか、
それが皇室論の要でしょう。
神事を外し、特殊性を抜き取れば単に王室と変わらぬことになります。
それでいいのだろうか、という論議。
敢えて結論は申しません。皆さまのお考え一つです。
紀元前660年に大和に都を開き初代の天皇として立たれた神武天皇のそれは
神話か史実かはかるすべもなく、しかしながら天皇家は連綿と神話の中の
一族でいらした、これは事実。
その神話がどうやら崩れ去る危機にあるのが現在でしょう。
崩れてよしとするのか、それではいけないのか。
じっくり考えてみたいところです。
『備考』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%B3%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87
女系天皇(じょけいてんのう)は、日本において母のみが皇統に属する天皇を指す呼称である。母系天皇と称されることもある。
語句の類似から、単に女子の天皇を指す女性天皇と混同されることも多いが、皇統についての「女系天皇」と、天皇個人の性別についての
「女性天皇」とは異なる概念である。
『古事記』、『日本書紀』やその他歴史書の記載によれば、
日本の皇統は初代神武天皇から現在の第125代今上天皇まで男系の血筋のみで続いてきたとされる(いわゆる「万世一系」)。
その信憑性については諸説あるが、少なくとも「高群逸枝(民俗学者)が古代は母系制であったと主張している」というのは誤認である。
高群が提示した概念は「父系母族制」という名称の通り、母権的であってもあくまで父系(=男系)であった)。
神武天皇以来、男系で続いてきたことを万世一系とする立場からは、女系天皇は即位しても神武天皇以来の皇統に属さず、
その結果として日本史上初の王朝交代が生じる、という意見も出されている。
・・・・・・
ものすごく粗っぽく言えば、「万世一系」という「神話」を日本人が信じ続けるか、信じ続ける
「ふりを続ける」かですね。ふりをする、はネガティブな意味で言っているわけではありません。
ある理念ないしは日本的美意識を守るに神話を奉ずることが必要なら、神話を大事にすればいいだけの話です。
繰り返し述べているように、皇室はもともとが常識の範疇外のご存在なのですから。
理屈では割り切れぬご存在をなにゆえ日本人がかくも長きにわたり奉じてきたか
そこをじっくり考える必要があるようです。
象徴天皇の「象徴」は、戦勝国が勝手に押し付けてきた概念であり
それを、後生大事に永遠に守る必要はないでしょう。(九条墨守も然りだけど)
「象徴」のまま、なあなあ状態でズルズル移行していくのか
「日本国民の絆のかなめ」として皇室を仰ぐのか、態度を明確にすべし、と問いかけられているような
時機に差し掛かっているようです。
神武天皇(じんむてんのう 庚午年1月1日(紀元前711年2月13日?)〜 神武天皇76年[1]3月11日(紀元前585年4月9日?))は、
日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇である(古事記、日本書紀による)。
日本書紀によると、在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日(紀元前660年2月18日?)〜 神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日?)。
『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。
神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。
天皇が即位した年月日は、西暦紀元前660年2月11日と比定される。これにより、2月11日は日本が建国された日として、
明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。紀元節は昭和23年(1948年)に廃止されたものの、昭和42年(1967年)には建国記念の日として、
祝日とされた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87