朝鮮戦争で、韓国は日本と戦って勝利した、というぶっ飛びな歴史が
韓国では教えられていることは、知っていましたがこの機会に・・・・と思って
あちらの歴史教科書をAmazonで探ってみましたが、その点に関しては
よく解りませんでした。
ただ、レビューがそれぞれに興味深かったですね。
韓国の小学校教科書
●韓国の通史は意外になくて、まず小学生向けの
教科書から。架空のインタビューがあったりして、
いかにも小学生向け。このへんの工夫は
どこの国も変わらないのね。
第二次世界大戦以降があれっと思うくらい
記述がなくて、まだ歴史にはなっていなくて
現在なんだな、と思わされた。
身分制度について知りたかったが
小学校では大したこと載っていない。
あと、倭寇や植民地化の話は地味にダメージがあった。
BB注:>倭寇や植民地化の話は地味にダメージがあった
これが意味不明ですが・・・・、日本にとってのダメージという意味でしょうか。
もしそうだったら、元寇があるんであちら言えた義理ではないし、日韓併合は
合邦なので、実質植民地ではないですね。あちらはそう言いはっていますが、
世界の植民地の実体を見れば、日韓併合が搾取略奪の定義からは
外れていること、一目瞭然です。
韓国の中学歴史教科書
●歴史教科書には、日韓で領土問題として争っている竹島に関して、韓国人が古くから漁などで用いてきたと書かれているがしかし記録を読む限り、そのようなものは存在しない。
韓国人が竹島に行ったとされるもっとも古い記録は19世紀に鬱陵島を開拓している日本漁民に雇用され漁を行ったとの記録が最古である。
どれほど記録を探ろうとも、韓国が主張するようにそれ以前から韓国人が竹島を利用していたとの記録は無く。
当然のように強奪したとの事実はない
安倍政権で始まった日韓の共通の歴史認識の模索は、結局、両論併記で終わった。
参加した日本側のメンバーからは「不毛だった」との感想が漏れたくらい、議論の合致が得られなかったのだろう
この会議に参加した日本側の代表は、もともと韓国側を宥める目的で始められた議論だけに、何れも韓国に好意的な人物ばかりだったが
それでもこのような結果に終わったのは、日韓双方の歴史に関する捉え方の差がある。
日本は歴史を未来への鑑と位置づけるが、韓国ではまず民族の矜持を重視する。
民族にとって誇りある歴史でなければならず
日韓の共通の歴史認識の作成作業も、韓国側にとっては日本に自己の歴史認識を全面的に受け入れさせるためのものであり。
それを勝ち取る事が目的で望んだものだった。
だからこそ、日本側の主張は一寸も受け入れる意思は最初からなかった。
これでは双方の融和のために対立を煽らない歴史認識を作るべきと考える日本側とは合致が見られるわけがない。
フランスとドイツで行われたような共通の歴史認識を作る作業を行うべきだ。それが出来なければ日本はアジアとの真の和解などない
そんなことを必死で訴えていた人がいたが、彼らはそもそも前提となる事が日本と韓国との間では成立していなかった事は理解していなかったであろう。
私が小学生の頃、歴史を顧みて、過去の成功を手本とし失敗を繰り返さないために学ばねばならない
そのように先生から教わっていた経験がある。
そのことを否定する日本人は存在しないだろう。
しかし韓国では、その根底がそもそも違っている。それを理解せずして、隣国の歴史認識を知る事は出来ないはずだ
●読んだ印象としては、
・内戦や・侵略の渦に巻き込まれてきた歴史。(日本平和すぎ。)
・李朝が薄く近代が濃い。(日本の近代史薄すぎ。)
・日本の歴史教科書に挙がっていない日本の悪徳行為もゼロではない。(ネトウヨとして知っておくべき。)
・文化史が少なく記述が曖昧。世界に誇るハングルの歴史も曖昧w。(逆に日本の文化史の多さに改めて感動!)
などあります(全部書くと文字数オーバーになりそうw)。
ただ一番印象に残ったのは、やはり反日な記述です。
前半の古代〜李朝を読んでいるときは「この程度はセーフ、むしろ日本の自虐体質もこれくらい強気に…」程度に読んでいたのですが、近代に入っての反日ぶりには愕然としました。
朝鮮を巡っては 中国や欧米も関わっているのですが、日本と他の国では表現が驚くほど異なります。
「1932年に日本の東京で韓国侵略の元凶である日本国王[天皇]を処断するため国王の馬車に爆弾を投げつけたが成功しなかった。(中略)これらの義士たちの義挙活動は国内外のわが民族に独立の意思をさらに固く誓わせ、韓国人の勇気を広く知らせるきっかけとなった。(初版P.279)」
「日本は早くから彼らの侵略に利用するため、我が国の歴史や文化を悪く評したり、嘘をでっち上げた。(P.290)」
日本の歴史教科書に内政干渉しようとする彼の国では、一方このような表現を国がOKして中学生に教えているわけです。おっと、あまり声を挙げると内政干渉っていわれそうですねw。
日本の歴史教科書は、周囲の圧力に屈せず せめて嘘偽りのない事実を 個人個人が考えるための材料として隠さずに載せてもよいのでは?と思います。
(教科書に載せられないのなら、せめて別冊資料を配布、授業では触れないとか…)
●「1910年には日本はわが国の主権を完全に奪い、そのときから1945年の光復にいたるまでわが民族は数えきれない苦しみを味わった」(本文抜粋)
史実の供述の仕方が日本のものとずいぶん異なると感じました。
韓国の歴史教育がどのようなものか知りたくて読みましたが、予想通り日本とはかなり歴史認識が異なるようです。正直これを是正するのは不可能なのではないかと思いました。
まず日韓併合についてずいぶんページ数が割かれています。ここでは日本が一方的に韓国を侵略し、韓国の文化を奪った賊軍として描かれています。
1945年の日本からの主権奪還が華々しく書かれていましたが、そのわりに日韓基本条約についてはまったく触れられていませんでした。ここで日韓の間の紛争はすべて解決されたこと、日本が多額の賠償金を支払ったこと、数回にもわたり謝罪し続けたこと、述べてほしかったです。
日本の歴史が自虐的かどうか、また教科書の質としてどちらが上かどうか私には判断できませんが、韓国の自国を愛する姿勢はすこし見習ってもいいのではないかと思います。
韓国の高校歴史教科書
● 歴史の共通認識ということが言われるが、相手の主張を受け入れるとどういう歴史認識になるか、考える材料になるのが本書である。当たり前のことだが、『朝鮮半島』が『韓半島』と表記され、『北朝鮮』は『北韓国』と表記され『日帝』という活字が躍っている。
例えば、『百済文化を土台に、日本の世界的傑作である広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像や法隆寺百済観音像が作られた』という恩着せがましい叙述や『法隆寺金堂の壁画の作者は曇徴である』というでたらめがこれでもかと叙述されているが、それなら自国の世界的傑作の叙述・写真掲載をすれば良いのである。
日清戦争についても、閔氏政権が東学党の乱の鎮圧のため清国に援軍を要請し、侵攻の機会を狙っていた清国が派兵したのが原因なのだが、東学党の乱を『反封建的・反侵略的民族運動』と過大評価し『日本軍が日清戦争を引き起こし、内政に干渉すると…』とまるで日本が一方的な悪者とされており、『清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス』とした下関条約の第一条の存在を隠蔽している。
そして『朴正煕は…日本の謝罪と正当な補償を要求する市民、学生の激しい反対を押さえ込み、韓日国交を正常化させた(1965)』とのみ叙述し、『日韓基本条約』や日韓間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決したことや日本が韓国に3億ドル=無償金、2億ドル=円有償金、3億ドル以上=民間借款といった供与及び貸付には一切触れていない。
なおP352『韓流スターに熱狂する外国人たち』とある日本のおばちゃんの写真や、P401の『暴力団があやまちを認め自らよい人間になると誓う暴力団の市街行進の姿』の写真は抱腹絶倒!トンデモ本としても必須アイテムである。
●日本では当然のことながら日本史を学びます。
が、自分を冷静に見つめるのが難しい様に、自国の歴史を冷静に見つめるのはすごく難しい。
この本は、韓国の高校生が学ぶ朝鮮の歴史本です。当然ながら、自国を冷静に見つめることは難しかった様で、所々に筆者の主観が見え隠れします。結果、辻褄が合わないところが、いくつも出てきています。ですが、これは日本人の目から読むからなんでしょうね。きっと。
結果として、謎だらけの歴史書となっています。高校の教科書なのにね。
過去に何度も侵略の憂き目にあっていながら、軍事力を高めようという動きが殆ど無かったのはなぜか?西洋列強の植民地化の動きに対して、海外への視察団をなぜ出さなかったのか?
遅れた日本へ幾度となく進んだ朝鮮文化を伝授したことになっているが、何のメリットがあって、そういう行動を取ってきたのか?なぜフィリピンやロシアへは伝授しなかったのか?などなど。
最大の謎は、なぜ19世紀以降、日本とこんなに差がついてしまったのか?ということ。
BB注;いや19世紀以降の差ではなく、有史以来ですよ。
よその国のことながら、ちゃんと考えた方が良いのに。と思います。
日本に関する記述も沢山でてきていて、朝鮮側からの視点で見た日本史という趣があり、興味深い
です。ただ、縄文時代の記述が殆どかったり、卑弥呼の話も無いです。当然かも知れませんけど。
この時代に日本に文明が無かったことにしたいのかも知れません。また日韓国交正常化で、日本は北朝鮮を含めた多額の賠償金を払い、朝鮮に投資したインフラを全て放棄したのですが、その記述は全く無く、これはフェアじゃないなぁ。と思いました。韓国の発展にかなり役立ったはずなのですが。
ちなみに、竹島が朝鮮の領土であったことを示す 鬱陵島の古地図が載っているのですが、これ、どう見ても今の竹島じゃなさそう。位置関係や大きさが違い過ぎます。竹島だけでなく、鬱陵島の周辺に現在存在しない島がいくか描かれていて、この地図自体、かなり怪しいです。
ほんとに鬱陵島なのかなぁ。上が北なのかどうかも怪しい。さらに、竹島ですが、この本に
何度も出てきます。何でこんな岩に執着するのかも謎です。
BB注:島は小さくてもそれを取り囲む領海権、漁業権が派生します。それと海の中の資源と。それと一度外国とまともに戦ったことがなく、いかに火事場のコソドロでも、外国の持ち物(竹島)を手に入れたことは彼らにとって、唯一の戦利品なのでこだわります。
たぶん、日本と朝鮮とで共通の教科書を作ることは歴史観が違いすぎて無理だと感じました。
けど、日本が朝鮮の高校の歴史教科書を学び、朝鮮が日本の歴史教科書を学ぶ。といったことなら、
相互理解という意味で価値があると思いました。
●いろいろ話題になってる韓国の歴史教科書。原文を読まずに批判するのはどうかと思い、購入してみました。
もちろん、日本語訳ということである程度のフィルターはかかっているとは思うのでそこは差し引いて評価する必要がありますが。。。
まず驚くのは韓国の歴史教科書なのに日本に対する記述がやたら多いこと。この教科書は日本でいうところの「日本史」と「世界史」を合わせたようなものだと理解しますが、我々から見ると。隣の大国中国のほうが文化的にも、政治的にも大きな影響があったにもかかわ「韓日史」の教科書じゃないの?と思うくらいに、一隣国でしかない日本についてたくさんのことが書かれていますらずです。
まあ、隣人としては光栄と思ったほうがいいんですか・・ねぇ
日本の文化についても紹介があって、「日本には優れた文化が存在」「そのもとになったのは韓国(一応韓国発祥とは書いてない)」というロジックなんですが、これは日本の文化の特性をよく理解しているなと感じました。基本、最初は他の文化の模倣から始まりますが、そこから独自の要素を付け加えて他国の追随を許さない域まで高める。というのが日本の現代に至るまでの得意とするところです。決して劣化コピーのままでは終わらない。そこのところを非常によく理解されて、韓国の歴史教科書なのにわざわざそう書いてくださる。ありがたいことです。
ただ、歴史教科書でありながら、神話の時代の話を年号まで入れて確定的に書いてしまうのはあまりにもお粗末です。なので本としての評価は★3つとさせていただきます。
あと、、、韓国の方が独島といってる島は島根県の竹島とは別のものみたいです。この本にあった地図を見ても大きさも位置も違うみたいですね。韓国の先人たちが間違った記述をするわけはないでしょうから、たぶん地図通りのところに島があるはずですので、しっかり探していただきたいです。
●日本が、奴婢(奴隷)を解放させたこと、人口を激増させたことは、非常に重要だと私は考えている。
前者は李氏朝鮮が非道な国家だったことを意味し、後者は日本が韓国人を豊かにしたことを意味するからだ。
これらについて、韓国政府の主張を確認するため、本書を読んだ(この教科書は国定教科書だ)。
この意味で本書は私のニーズに合っていたため、☆×5にしました。
奴婢解放だが、1894-1895年の甲午改革で李氏朝鮮が法的に解放した。これは日本の要求した改革だ(フランスのクセジュ文庫の「朝鮮半島を見る基礎知識」P76)。しかし本書には日本の働きかけが記されていない。
また日韓併合後、日本は身分制の解体を推し進めた(「大韓民国の物語」P93-96、同化政策の障害になるため解体した、とある)。しかし本書P255には日本が差別したと記している。
また本書P245の奴婢の数について、蔚山の戸籍に占める奴婢の割合が記してある。1729年=13.93%→1867年=0.56% に減っている。奴婢がほとんどいなくなったように見えるが、実はこれは戸数なのだ。
「両班(ヤンバン)―李朝社会の特権階層 」 P197-199に大邱市の奴婢の戸数と人口が記されている。本書の年代に近いものを取り出すと、1729年 戸数=26.6%(人口=32.4%)、1858年 戸数=1.5%(人口=31.3%) になっている。
1729年〜1858年までに奴婢の戸数は激減しているが、人口は横這いである。同著によると蔚山も同じ傾向だ。
すなわち、たった120年位前まで韓国人の数十%は奴婢だった。しかも他国(日本)によってそれが解放された。このことを本書は記していない。
李氏朝鮮は奴隷大国だった。しかも自国民を奴隷にする最悪の奴隷制度だった。奴婢にはいくつかの種類があるが、その中には人権が無く自由に売買できるものもあった。奴婢は世襲制だった。
これを取り除いたのが日本だった。リンカーンやケネディ大統領のように日本が尊敬されても良いと思う。
人口激増だが、本書P256に、1910年代「末」=1700万人→1942年=2600万人に増えたと記されている。
しかし統治開始(1910年)前後の数値が記されていないため、日本併合の36年(1910-1945)間の人口の増減が分からない。これでは、統治当初から減った可能性もある。
ところが統治開始(1910年)前後の数値は分かるのだ。人口増加率が分かるのだ。朝鮮総督府の統計資料によると1910年=1312万人→1944=2512万人に増えている(「困った隣人 韓国の急所」P209)。1.9倍の増加だ。
クセジュ文庫の「朝鮮半島を見る基礎知識」P102にも1910-1945に 1330万人から2590万人に増えたと記されている。こちらも1.9倍の増加だ。
この時代、人口増加は豊かになったことを意味する。
奴婢を解放したのは日本だ。韓国人を倍増させた(=豊かにした)のも日本だ。
しかし本書はそれを韓国人に教えない。
これが韓国政府だ。
最後に、某国人を非難する時、奴婢とか白丁(賤民の一種)とか使う人がいます。私はそれを使うべきではないと思います。
彼らを解放した私たちの先祖を貶めるような気がするからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・転載ここまで
朝鮮戦争で韓国が日本と戦って勝利したと教え込まれると聞いたので、レビューで
探ってみたのですが、目にする限りでは記述がありませんでした。
韓国の国定歴史教科書については、こちらのサイトさんがよく研究・解説されています。
韓国の反日教育の基礎ですから、政府も国民もきっちり把握しておくべきですね。
東海大の整形准教授金何とかさんは、テレビで「韓国に反日はない」と強弁していますが、教科書の内容を突きつければ一発論破です。
ttp://www7.plala.or.jp/juraian/ktextbook.htm
抜粋
一方的施恵論
古代日本は朝鮮半島から大きな文化的影響を受けたが、逆に日本が半島南部に与えた影響も少なくない。硬玉製勾玉や円筒型土器、榮山江流域の前方後円墳はその例である。ところが韓国政府としては、「文物の流れは朝鮮半島から日本への一方通行だった」ことが任那日本府説を否定する重要な論拠なので、日本からの影響を認めるわけには行かない。そこで半島から日本への影響を強調する一方で、日本からの影響は一切無視する一方的施恵論を主張することになる
文禄・慶長の役
藤岡が指摘している通り、日本に対しては一貫して「侵略」という言葉が使われる反面、日本以外に対して使われるのは稀である。秀吉の朝鮮出兵も「侵略」と表現される一方、13世紀のモンゴルの侵略は一貫して「侵入」という言葉が使われている。要するに日本人はモンゴル人より悪辣だと言いたいらしい。
文禄の役で日本軍の快進撃は西北部では平壌で止まり、以後到着した明軍によって漢城付近まで押し戻された。教科書はこうした戦況の逆転を、朝鮮水軍と義兵の功績としており、明軍は気の毒にも付録扱いされている。
수군이 승리를 거두고 의병의 활동이 활발하게 전개될 무렵, 명의 원군까지 도착하여 조선은 왜군에 반격을 가하게 되었다. (p. 148)
水軍が勝利を収め、義兵の活動が活発に展開されている頃、明の援軍まで到着して朝鮮は倭軍に反撃を加えるようになった。(p. 150)
また藤岡の指摘通り、教科書は朝鮮民族が一致団結して日本軍の侵略に抵抗したような印象を与えている。実際には日本軍を解放軍として大歓迎した下層民が大勢おり、臨海君・順和君の二王子を縛って日本軍に突き出した役人もいた。中学校の教科書にこうした対日協力者の事跡を書く必要はないだろうが、だったら序文にあんな偉そうなことを書くべきではない。
戦争の結果について、教科書は次のように朝鮮の勝利、日本の敗北としている。
7 년간의 전쟁은 조선의 승리로 끝났고, 일본의 침략 의도는 좌절되었다. 일본은 조선의 항복을 받지도 못했고, 영토를 얻지도 못했다. 그렇지만 이 전쟁으로 가장 큰 피해를 본 것은 조선이었다. (p. 149)
7年間の戦争は朝鮮の勝利に終わり、日本の侵略の意図は挫折した。日本は朝鮮を降伏させられず、領土も得られなかった。それにもかかわらず、この戦争で最大の被害を受けたのは朝鮮だった。(p. 151)
그러나 조선으로부터 여러 가지 문화재와 선진 문물이 일본에 전해져, 일본은 문화 발전을 이를 수 있었다. (p. 150)
しかし、朝鮮からいろいろな文化財や先進文物が日本に伝わり、日本の文化発展に寄与した。(pp. 151-152)
これを読んだ学生は、勝利したはずの朝鮮が最も大きな被害を被り、敗北したはずの日本が最も利益を得たことに疑問を感じないのだろうか。李氏朝鮮時代の小中華思想は、軍事的・経済的劣勢に目をつぶり、文化的・道徳的優越感に耽る精神的勝利法だった。この教科書の記述も、現実から目を背け根拠のない優越感に耽る精神的勝利法を教えているようである。
朝鮮通信使
1996年版では、江戸時代の朝鮮通信使に関しても「私たちの先進文化と技術を伝えてあげた」という恩着せがましい記述になっていた。2002年版ではそうした恩着せがましさは後退し、何やら韓流ブームを連想させる記述になっている。
통신사는 일본의 요청을 받고 일본에 건너가 극진한 대우를 받았으며, 일본의 문화 발전에 공헌하였다. 그들이 다녀간 후에는 일본내에 조선의 문화와 풍속이 펴질 정도였다. (p. 150)
通信使は日本の要請を受けて日本に渡り、手厚い待遇を受け、日本の文化発展に貢献した。彼らが訪れた後には、日本国内に朝鮮の文化と風俗が広まるほどであった。(p. 152)
「天皇」と呼ぶのが韓国政府の公式的な立場のはずなのに、国定教科書が「国王」で一貫しているのは奇妙なことである。こテロ礼賛
この教科書が中学生に伝えようとしている最も重要な価値観は「反日」である。反日こそが至高の価値であり、反日のためならどんな行為も正当化される。その中には、単に「親日的な発言をした」というだけの理由で外国人を殺すことも含まれる。
미국에 살고 있던 전명운과 장인환은, 일본의 추천으로 우리 나라에 외교 고문으로 와 있던 미국인 스티분스가 미국으로 돌아가 일본의 한국 침략을 지지하는 발언을 하자, 그를 샌프란시스코에서 사살하였다. (p. 236)
アメリカに住んでいた田明雲と張仁煥は、日本の推薦でわが国に外交顧問として来ていたアメリカ人スティーブンスがアメリカに戻って日本の韓国侵略を支持する発言をすると、彼をサンフランシスコで射殺した。(p. 238)
의병장으로 국내외에서 항일전을 전개하고 있던 안중근은, 우리 나라 침략에 앞장섰던 이토 히로부미가 러시아 대표와 회담하기 위하여 하얼빈에 도착했을 때, 그를 사살하여 민족의 독립 의지를 분명히 보여 주었다(1909). (p. 236)
義兵将として国内外で抗日戦を展開していた安重根は、初代統監としてわが国侵略の先頭に立っていた伊籐博文がロシアの代表と会談するためにハルビンに到着したたとき、彼を射殺して民族の独立の意志を明らかに示した(1909年)。(p. 238)
이재명은 일본의 앞잡이인 이완용을 칼로 찔러 부상을 입혔다. 나철과 오기호 등은 5적 암살단을 조직하여 을사조약에 찬성한 을사5적 등 매국노를 처단하여 하였으나 서공하지 못했다 (p. 236)
李在明は日本の手先だった李完用を刀で切りつけ負傷させた。羅?と呉基鎬などは五賊暗殺団を組織し乙巳条約に賛成した乙巳五賊など売国奴を処断しようとしたが、成功しなかった。(p. 238)
反日こそが至上の価値なのだから、日本が押し付けた法律など守る必要はない。むしろ積極的に法律を否定してこそ、韓国人としての正しい行動といえる。
유관순은 재판정에서 "나는 당당한 대한의 국민이다. 대한 사람인 내가 너희들의 재판을 받을 필요도 없고 너희가 나를 처벌할 권리도 없다." 라고 외치면서 항거하였다. (p. 267)
柳寛順は裁判所で「私は堂々たる大韓の国民である。大韓の人である私がお前たちの裁判を受ける必要もなく、お前たちが私を処罰する権利もない。」と叫び、抵抗した。(p. 269)
1910年の日韓併合条約をもって韓国は日本に併合されるが、教科書はこれを「日帝の奴隷状態」と表現している。列強の植民地となることが奴隷状態なら、当時アジア・アフリカの大部分が奴隷状態だったことになるが、この教科書は韓国人だけが不当で不条理な扱いを受けたような印象を与えている。
이로써 오랫동안 독자적인 문화를 창조하면서 발전해 온 우리 민족은 나라를 빼앗기고 일제의 노예 상태로 떨어지게 되었다. (p. 255)
こうして長い間独自の文化を創造しながら発展して来たわが民族は国を奪われ、日帝の奴隷状態に陥るようになった。(p. 257)