なぜ、日の丸と国歌に反対する如き愚か者が排出するかと言えば、それは教育によるものであり、教科書も教育現場も調べるにつれ、想像を絶する惨状でした。
まず教科書の歪みは日教組の教育方針に動かされている部分もさることながら「近隣諸国条項」という愚かの極みの条項の存在も大きいのです。
近隣諸国条項
発端は誤報だった。誤報がきっかけなんですよ、ここんとこ憶えておいてくださいね。
「高等学校用の日本史教科書に、中国・華北への『侵略』という表記を『進出』という表記に文部省の検定で書き直させられた」という日本テレビ記者の取材をもとにした記者クラブ加盟各社の誤報が発端となり、中華人民共和国・大韓民国などの国が抗議して外交問題となった。(1982年)
つまり、中国や韓国が抗議した実体は「何もなかった」のです。ところが、中国と韓国にねじ込まれて震え上がったのが、チキンの宮沢喜一。不幸なことにこのチキンが時の官房長官でした。
チキン宮沢喜一。
『「歴史教科書」に関する宮沢喜一内閣官房長官談話』を出して決着を図り、その談話では、その後の教科書検定(教科用図書検定)に際して、文部省におかれている教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準(教科用図書検定基準)を改めるとされていた。
誤報にもかかわらず中韓が食いついてきたことに、宮沢喜一は決してやってはならない怯懦な反応を示してしまいました。誤報がきっかけなのに、この過剰反応=反省=謝罪のとっちらかりぶりを見てください。正気とも思えません。あるいは確信犯なのか。後に被差別部落出身者説が出た人です。
「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話昭和57年8月26日
一、 日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた。我が国は、韓国については、昭和四十年の日韓共同コミニュニケの中において「過去の関係は遺憾であって深く反省している」との認識を、中国については日中共同声明において「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」との認識を述べたが、これも前述の我が国の反省と決意を確認したものであり、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。二、 このような日韓共同コミュニケ、日中共同声明の精神は我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものであるが、今日、韓国、中国等より、こうした点に関する我が国教科書の記述について批判が寄せられている。我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。
三、 このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する。すでに検定の行われたものについては、今後すみやかに同様の趣旨が実現されるよう措置するが、それ迄の間の措置として文部大臣が所見を明らかにして、前記二の趣旨を教育の場において十分反映せしめるものとする。
四、 我が国としては、今後とも、近隣国民との相互理解の促進と友好協力の発展に努め、アジアひいては世界の平和と安定に寄与していく考えである。
のちに宰相になるこの男も自民党なのであり・・・とするとこういうチキンを首相に担ぎ上げる自民党の体質は昔からあった、と言わざるを得ませんね。中韓に対する腰の引け方、脅え方は自民党の一つの伝統ですらあるのかもしれません。
宮沢喜一の売国略歴。(保守本流という評価もありますが、べべこは真逆評価です)
天皇の戦後初の訪中を実現させた。
首相退任直前に慰安婦問題についての河野談話を発表し謝罪の意向を表した。
自衛隊の海外での武力行使は自衛の場合に限るべきという基本線を最後まで維持していた。
日韓W杯招致の立役者。
酒癖は悪く、酔った席上で記者など同席者に絡むことを常とし、しかもその多くが学歴をネタにしたものだった。(何かのコンプレックスの裏返しではなかったでしょうか)
母校・東京大学への拘りが強く、後輩議員や新聞記者たちに学歴を事細かに聞き、東京大学(特に法学部)卒でないと露骨に馬鹿にする、と非常に嫌われていた(『出自』への劣等感から学歴に病的にこだわった?)
一部の部落民が部落外に転出して出世するや否や、自己の生まれを隠蔽(いんぺい)し始める風潮があることを苦々しく思っていた部落解放運動家小森龍邦による「宮澤喜一の父親(宮澤裕)は被差別階級の出だ」との発言に対し、宮澤は激怒したことが知られている。
『芸備人権新報』(1999年9月10日号)には、「(小森)……ここにいたって、宮沢と同じ、被差別者の立場にありながら、 自らと同じ運命にあるものをもけちらさねばならぬ状況に落ち込んだという べきでしょうね……宮沢のことを知る人は少ないのですが、かれの出自は、いまも親の代の住居が、福山市の松永というところの金江という山奥に、ひっそりと残っていますが、まあ、被差別民もしくはそれと同然の立場と言うべきだったでしょうね……」とある。
・・・・宮沢喜一が部落の出身者であるかどうか解りません。ただ、この方の中韓への病的なまでのおもねりぶり、腰の引け方に対しては思うところがなくもありません。あと強烈な劣等感の存在を感じること、それと裏腹の異常な傲慢さが見て取れることなどから・・・。
というわけで誤報を基にした「近隣諸国条項」について述べようとすると、売国政治屋・、宮沢喜一に触れざるを得ず、肝心の教科書までにはたどり着けませんでしたので、次回に。売国政治屋云々は繰り返しますがべべこの評価であり、むろん物事には二つの視点があり、この方を保守の本流という人もいます・・・が、理解に苦しみます。
こういう日本人は、やってもいないことにヘコヘコと謝罪を繰り返し、お金を渡し、日本人がやられたことには怯えたように口をつぐんでいるのはなぜでしょう?
南京大虐殺など言われっぱなしで、なぜ中国人による日本人大虐殺については何も言えないのだ?
通州事件に関しては改めて稿を起こさねばならぬほど、大変な事件でしたが長くなるので、動画をごらんください。物すさまじさがわかるかと思います。
通州事件の真実05 Sさんの体験談
「衝撃的で不快なコンテンツ」であるということで、YouTube内の動画が削除されていますが・・・・さあ、どうなのでしょう。歴史の真実をそういう形で消し去ってよろしいものかどうか。
あちこち抹消されぬうち、画像だけはアップしておきます。
河野談話
河野洋平が筆舌に尽くしがたく嘘つきです。
嘘の内容に関しては過去、何度も検証して来ましたのでここでは細目にわたってはやりませんが、いずれ機会があれば河野談話の内容の一つ一つに徹底反駁します。こいつが、後年自らの談話に解説めくものをしていますが、「推測に依る」と認めていたり、こういう男のことを売国奴と言います。最低のゲス野郎です。 ↓
「総じて本人たちの意思に反して行われた」「募集・移送・管理等の過程全体としてみれば甘言・強圧という方法により強制があった」という趣旨の発言を行なったが、当時官房副長官であった石原信雄がのちに語ったところによると、当時の日本政府の調査では、軍など日本側当局が慰安婦を強制連行したという資料は確認されなかったという。
河野洋平・売国言動まとめ
北朝鮮へのコメ支援
2000年(平成12年)、外務大臣として北朝鮮への50万トンのコメ支援を決定した。
李登輝訪日への反対2001年(平成13年)の台湾の李登輝訪日問題での対応。中華人民共和国からの強い抗議をうけて、自らの外務大臣辞任をほのめかしてまで入国ビザ発行に反対した。
戦没者追悼式における発言2006年(平成18年)8月15日全国戦没者追悼式の衆議院議長追悼の辞で「戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」と異例の戦争責任論に言及した。
また、2007年(平成19年)8月15日全国戦没者追悼式の衆議院議長追悼の辞においては、「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います 」と述べた。
河野太郎よ父を恥じよ、せめて自らは国を売りたもうことなかれ。恐ろしい国籍法改悪案!河野太郎と公明党・民主党を絶対に許さない!
『付記』 日本人がされたこと http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/875405b94b7dee8d508246a2e7a82b84 べべこ過去記事
中国人と朝鮮人による日本人大量虐待・虐殺事件