あなたは、知っていますか? かつてこんな朝鮮人がいたことを。
日本人としての誇りを胸に死んでいった朝鮮人がいることを。
その名を洪 思翊(ホン・サイク)。
終戦後フィリピン軍事法廷において連合軍に、あなたたち朝鮮人は命を助ける。と言われながらも
“いやしくも自分は帝国陸軍中将である。一切の免罪は無用である!”
とおっしゃって死刑を選択された方でした。
あなたは、知っていますか? 昭和天皇に金鵄勲章を授章された朝鮮の方がいらっしゃることを。
ホン・サイク帝国陸軍中将の後輩、金錫源(キン・ソゴン)陸軍大佐です。
日本人は全て知らねばならない。日韓併合は植民地化などでは断じてなかった。いったいどこの国家が植民地とした相手国の人間を自らの陸軍に迎え入れ、自国の兵隊を指揮させるのだろう? このどこに抑圧と差別があるのだろう?
日本人は全て知らねばならない。
教科書とNHKが流し続ける嘘を!
日韓併合の正当性と、韓国はそれにより多大の益を得たのだということ。
拙ブログで何度言って来たでしょうか。しかしながら、韓国が大嘘を繰り返し主張し続ける以上、日本も繰り返し真実を語り続けるしかありません。
本来は日本国民から聴取料を強制的に取るNHKの役割のはずです。しかし、ここは中立を保つどころか、日韓歴史問題の検証に朝鮮人演出家を起用、韓国視点で堂々と放送、討論番組をやれば崔洋一のごとき反日嫌日に凝り固まった輩を起用・配備して、まっとうな日本人若者の意見を怒鳴りつけ封殺する。田母神さんのごとき憂国・護国の立場に立つ人は決して出演させません。そう、決して。
NHKの巨大な反日機構ぶりを見ているとなぜこれがかくも放置され続けるのか、焦燥感に駆られるのですが政治も国民の大半も無関心。そして日々、自らの国を嫌悪、軽蔑する放送が流され続けています。
はかない抵抗・・・かもしれません。でも、真実が歪められることは我慢できません。まして、それが遠くない日本人の先祖の名誉がかかることだから。
田母神俊雄氏が語る 日韓併合100年 本当に韓国を貶めたのか
日韓併合100周年
日韓併合は世界がこれを認めた
白人国家が次々に植民地にしていた時代
日本が朝鮮半島を植民地にしたというのは勘違い
白人国家が植民地にしたところは牛馬のように劣悪な社会だった
日本は朝鮮人を日本人と同じ権利を与えようと務めた
陸軍士官学校へも迎え入れた
帝国陸軍の将校となって朝鮮人の将校が、日本人の兵隊を指揮することも、ままあった
朝鮮人将軍もいた
マニラの軍事裁判で捕虜を虐待したと、無実の罪を着せられて処刑された朝鮮人に洪 思翊(ホン・サイク)という陸軍中将 がいる。
硫黄島で知られている栗林忠道中将と同期で陸軍士官学校26期生である。
【備考】
生誕地 大日本帝国朝鮮京畿道安城 死没地 フィリピン 所属組織 大日本帝国陸軍 軍歴 1914年 - 1945年 最終階級陸軍中将
日本の中央幼年学校に国費留学し、首席で卒業した後、間もなく陸軍士官学校に進学した。当時、陸軍士官学校には大韓帝国からの派遣留学生が何人も在籍していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この人は、連合軍から「君は朝鮮人だから免罪してやろう」と言われたが「いや、私は日本帝国陸軍の陸軍中将である。いっさいの免罪を必要としない」として、日本人として慫慂として死についた。
その一期後輩に、陸軍士官学校27期に終戦後フィリピン軍事法廷において連合軍に、あなたたち朝鮮人は命を助ける。と言われながらも“いやしくも自分は帝国陸軍中将である。一切の免罪は無用である!”とおっしゃって死刑を選択された方でした。またその後輩の金錫源(キン・ソクウォン)陸軍大佐という朝鮮人の大佐がいて、支那事変の時、日本人兵隊千名を率いて支那軍を蹴散らし、軍功著しく天皇陛下の金鵄勲章が与えられた。日本人でも金鵄勲章を貰うのは難しい。白人国家による有色人種植民地支配とは全く違う。
【備考】
金 錫源 1893年9月29日 - 1978年8月6日(満84歳没) 生誕地 漢城 所属組織 大韓民国陸軍 軍歴 1915 - 1945(日本陸軍)1948 - 1956(韓国陸軍) 最終階級
朝鮮人としては初の功三級金鵄勲章を授与された。
この事から当時の朝鮮では、『金部隊長奮戦記』、『金錫源部隊激戦期』、『戦塵余談』といった金を称える記事が連日メディアにおいて発表され、崔南善の作詞で『金少佐を思う』という歌までが作られた。また、1941年に太平洋戦争が勃発した際には、朝鮮人の青年達に学徒動員に参加する様呼びかける講演活動等、銃後の支援も積極的に行った。1944年に大佐に昇進。太平洋戦争終戦時は平壌兵事部課長。
以下の記事と画像は「本当の日本の歴史」さんより拝借しました。
http://ameblo.jp/create21/entry-10559621017.html
丁度その頃金錫源陸軍少佐は、
1000名の日本人部下を指揮する大隊長として、
中国軍の大軍を、山西省で木っ端微塵に撃破し、
少佐クラスでしかも生存者での「功三級」は全く破格でした。
このビッグニュースは朝鮮の新聞に連日、「金部隊長奮戦記」
「戦塵余談」等がでかでかと紹介されました。
日本兵を率いて、中国軍を撃つというのは、
朝鮮人にとって夢みたいな事だったのです。
・・・・引用終わり・・・・
2002年に「民族の精気を立てる国会議員の集い」が発表した親日派708人名簿と、2005年に民族問題研究所で親日人名辞書に収録する為に整理した親日人名辞書収録予定者1次名簿に、長男の金泳秀と共に選定された。また、2002年に親日派708人名簿に掲載された際には、城南高等学校の敷地内にある金の銅像を撤去しようとする活動が起こり、翌2003年に撤去されたというエピソードがある。
長男の金泳秀陸軍大尉(陸士57期)は1945年にフィリピン戦線で戦死し、靖国神社に合祀されている。金は晩年に旧陸軍将校の会である偕行社の総会に招かれた際に、「自分の長男は戦争に参加して戦死した。それは軍人として本望である。本人も満足しているであろう」と挨拶した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
李王朝の李垠皇太子殿下は、陸軍士官学校29期。いつでも潰すことの出来る李王朝の皇太子であるにもかかわらず、日本政府は天皇家の次にお金をかけて守った。
日本の皇族と全く同じく学習院に進まれ、陸f軍士官学校へ。終戦時に陸軍中将であった。
昭和天皇のお后候補であった梨本宮家の方子さま(李方子妃殿下)を嫁がせるなど、むしろ李王朝を守ろうとした。潰そうとする気ならこんなことはしない。
また日本政府は帝国大学を9つ作ったが、その内の二つは朝鮮と台湾に作られた。日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮と、台湾に作った。
白人国家の植民地は愚民化政策で教育は受けさせない。知恵をつけると反抗してくるから。日本は現地の人達に高等教育を受けさせた。植民地化の意識など皆無だったから。
戦後、朝鮮半島に帰りたい人たちは希望に応じて帰った。残りたい人たちは残った。自由だった。日韓基本条約という講和条約が結ばれそれ以前のことは不問に付すという条約。・・・・だが守られていない。
日本は日本の財産500億ドル以上を全て朝鮮半島に残し、借款 11億ドルも与え、それが韓国復興の礎となった。本来なら感謝されるべきこと。
日韓の問題は清算済み。
朝鮮半島は常に内戦状態で三つ巴の争い。朝鮮半島が安定しないがゆえに、日韓併合と相なった。日本に併合されたお陰で韓国は豊かになった。
すべきでない謝罪などやって、子や孫の世代にツケを残すべきではない。
今日、建国記念日の日に。
紀元節 徳山叙ホ 宮内省楽部楽友会