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Channel: BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
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大東亜戦争に感謝する国々のほうが圧倒的に多いという事実が、なぜ教えられないのだろう?

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大東亜戦争 その歴史的意義 FLASH

日本人があの戦争を賛美しているわけではなく、他の国々の人たちがこぞって

拍手してくれてますのでねぇ・・・。中韓朝鮮以外は。

イザベラ・バード他の書物に対してもそうですが、ここまで賛美されると、いやいや

・・・・と、否定しにかかる日本人が案外多くて、

それも自称インテリさんたちで、自虐史観の残滓を尾ひれにをつけていまだ

「日本はろくな国ではない」という思い込みの池で

、酸欠状態で泳いでいる人たちなのでしょう。

この動画で語られていることは今まで何度か記事にしてきましたが、

すべて事実ではありませんか。

事実を事実として受け入れずに何の歴史認識でしょう?

日韓併合の、韓国への物理的大寄与も単なる事実ではありませんか。

日本の力なくしては、現在の韓国はなかった。

大東亜戦争を賛美する気持ちはありません。戦争は戦争です。

しないほうがいいに決まっている。しかし、

一方的に日本が悪かったというのは絶対に違いますし

功罪で言えば大局的には功のほうが圧倒的に大きかった。

受けて立たざるを得なかった戦争であった。これも単なる事実。

それを踏まえてそれぞれの戦争史観を持つのはむろん自由です。

しかし事実を踏まえない、いじけた史観の持ち主があまりにも多すぎます。

そういう輩が、日の丸反対を言い立て、でも侵略戦争を理由に反対する彼らは

中国の五星紅旗に対しては何も言わない。

言えない。投獄も死刑もない寛容な日本で、

日本は悪い国だったと言い立ててるその卑劣さ怯懦さ。

韓国のベトナム戦争時における残虐非道に対しても彼らは口をつぐみ、

太極旗を降ろせとは言わない。

動画に見られる如く、先の日本の戦争に対して共感、

感謝の念を捧げていてくれている国々の中で、

マレーシア一国に絞って、まとめてくださったのが

「ねずきちの ひとりごと」さんです。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1426.html#more

詳細はこちらでご覧いただくとして、簡単にまとめておきます。

こちらはマレーシアの国定中学校歴史教科書ですが、

その歴史の第1ページ目は日本軍のコタバル上陸なのです。

つまり国の歴史が1941年(昭和16年)に「日本のおかけで」

始まったという記載なのです。

それまでマレーシアは英国領でその手先の華僑によって

食い荒らされていました。

建国たかだか60年なのに、韓国5千年の歴史などと大嘘をつく国と比べて

なんという率直さでしょうか。

マレーシアの教科書に明治天皇の御真影が掲げられているという事実は、

もっと知らされなければなりません。

寄ってたかってひた隠しにされていますよね。

 

あの日本の戦争の目的は「アジア人によるアジア人のためのアジア」を

取り戻す戦いであった、と教えられます。

涙が出てきますよ、

本来日本で教えてしかるべきことがマーレーシアで教えられているというありがたさ。

そして日本の現状の情けなさ。

 

「英国による統治から私たちマレー人を助けて下さい」という筆致で日本陸軍コタバル上陸の歴史と、

進撃ルートが教えられます。

 

真珠湾攻撃すら否定的には教えられません。(真珠湾攻撃も決して一方的なものではなかった、

アメリカに仕組まれたものであったという説があります)

日本語が教えられたという記載。それは単に事実として叙述されていて、

韓国のようにやれ言葉が奪われたの、

名前まで奪われたのだのという大嘘は書きません。

以下は「ねずきちの ひとりごと」さんからの引用です。

 

この本を入手した武田さんは、本を見せてくれたペナン在住の

アイーシャさんに尋ねたそうです。
「日本がコタバル上陸しなければどうでしたか」
答えははっきりとしていました。

「マレーシアという国はなかったでしょう。今もブリティッシュの植民地のままでしょう」

写真と文は、クンユアム第二次大戦戦争博物館から転載させていただきました。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/

第二次世界大戦には多くの残忍な思い出があるでしょう。
でも、私たちタイ人は違います。
この戦争はタイ人と日本軍兵士との間に愛と絆を同時にもたらしたのです。
私たちは、決して忘れることはないでしょう・・・
The second world war was a brutal memory to many,
Yet, for Thais like myself,the war brought love and bond together
between the Thais and Japanese soldiers.That I will never forget...

 敗戦前に日本兵がビルマから敗走してきて、お寺、村人の家、学校、

村の小さな病院などはほとんどいっぱいになっ
た。そして村の一軒一軒に日本兵が一緒に住むことになった。

 家の大きさによって違うが、一軒に大体5人〜20人くら
いいた。また道のかたわらに野宿する人もいた。
日本兵は村の人に何でも出来ることをいろいろと手伝った。たとえば

米の脱穀精米作業とか、農作業のときの赤ちゃ
んの子守などやってくれた。
クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことをいやだとは思わなかった.

 

「第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」   チューチャイ・チョムタワット著から抜粋

日本人は無抵抗で虐殺されろ座談会

在日たちによる九条改正反対・靖国参拝反対座談会

 歴史を語る資格はない −言論封殺−

崔洋一のいつもの恫喝。本当にこの人は邪悪です。語彙が乏しい若者相手におおいかぶせるように

饒舌に内容のない言葉を連打して、恰も正論を吐く若者が言い負かされ引き下がったような

演出をする。いつもの手口。こういう男を画面に出すNHKも民放の各番組もそれだけで

立ち位置はしれます。


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