昭和大帝が小和田雅子さんの入内に強く反対なさっていたことは
よく知られていたことであり、それが入内の可能性へと傾いて来たのは、
昭和大帝薨去後のことで、その影に高円宮、雅子妃の実父・小和田恒氏たちの
暗躍とゴリ押しがあったわけですが、中でも雅子妃入内の決定的要素はある人物により発せられた一言でした。
その発言が結局、虚偽でありつまり、雅子妃の入内自体が詐欺的経過を辿ってなされたものであることは、過去記事で検証しました。
雅子妃入内の詭弁 騙された国民 《拡散自由》
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/2f128d0809681fcc0ea6ef0b0d7aa588
小和田雅子嬢の入内あいならぬと、当初は圧倒多数だった最大の理由はむろん、小和田雅子さんの母方祖父である江頭豊氏がチッソ、加害者側の人間であったことで、それがあるゆえに、雅子妃の入内は絶対にあり得ないことであったのです。
それを詭弁でひっくり返したのが、故・元最高裁判所判事であり当時宮内庁参事であった団藤重光氏です。
「江頭氏は再建のため日本興業銀行からチッソに入った。再建できなければ被害者への補償も不可能になる。水俣病の発生について法的責任はない」
この言葉がいかに結果的に虚偽に満ち、詭弁であったか、現在も水俣訴訟が続いていることを見れば明らかで、残念ながら雅子妃の祖父江頭豊氏は善人とは程遠い人で、被害に苦しむ人たちを更に地獄に突き落としました。
雅子妃の被災地や被災の人々への無関心さ、冷たさを拝見するにつけ、江頭豊氏の冷酷ぶりを想起します。
雅子妃と祖父・江頭豊氏
チッソ水俣の加害者側の親玉が、結婚の儀にいたとは・・・・。背中に水俣病患者さんたちとそのご家族の苦しみを背負っての出席。皇居内にこういう不浄の人物を入れ込むとは。発端がこうでは後の行方が知れます。
江頭豊氏を代表とする被告側は、胎児性の水俣病患者を患者として認定することを拒みます。そして、胎児性の患者は、いかに苦しもうが死のうが、患者としての認定を受けることが出来ず、補償も得られなかったのです。
それがやっと、チッソが流した水銀に原因すると認定されたのは、二人目の赤ちゃんが死んで、その体が解剖されてから、という無残さでした。
お母さんは、体内の赤ちゃんが水銀を吸ってくれたお陰で無事だったのです。
そういう事後経過をまとめた本がこちらです。
水俣病 (岩波新書)
原田 正純 (著)
公害病の中でも大規模で最も悲惨なものの一つ、水俣病。苦痛に絶叫しながら亡くなった人々や胎児性患者のことは世界的にも知られているが、有機水銀によるこの環境破壊の恐るべき全貌は、いまだに探りつくされてはいない。長年患者を診察してその実態の解明にとりくんできた一医学者の体験と反省は、貴重な教訓に満ちている。
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そして、その水俣病患者の一人がオウム事件の麻原彰晃だった、という説が根強く言われています。在日、ハーフ説両方ありますが、更に水俣病患者に冷たかった日本社会への復讐であったとも。
となれば、それが仮に事実だとすれば、サリン事件の被害者は、チッソの事後処理が心を伴い誠実に行われていれば、いなかったかもしれない、という因果関係はあるわけです。麻原水俣病患者説の代表的なものの一つを抜粋しておきます。(幼児期も水俣の魚、魚介類を食べていたのですが、それに加えて胎児性の患者ではないか、という説もあります。
藤原新也 著
黄泉の犬
黄泉の犬(よみのいぬ)は、藤原新也の随筆。『週刊プレイボーイ』1995年7月18日号から1996年5月28日号に「世紀末航海録」と題して連載されたものに大幅加筆し、2006年10月30日に文藝春秋社から単行本として刊行された。
抜粋
私は、麻原の熊本県八代の実家を訪ね、マスコミを一切遠ざけていた麻原の兄との接触を試みる。麻原の粘着的な土着体質から、彼の世間に対する遠離と怨嗟の感情を決定付けたのは、巷間言われるような選挙での惨敗よりもむしろ、郷里で住民票受理を拒否され村八分に会ったことではないかと推測し、うらぶれた九州の辺境をさまよう。私は八代の駅を降り立ったとたんに楼閣のような王子製紙の工場に出くわす。それはさながら後年麻原がしばしば口にする持って生まれたカルマからの解脱の象徴に思える。麻原が敬愛し「オウム神仙の会」を立ち上げた際には、教祖になってほしいとまで言わせた長兄の経営する松本鍼灸院を客を装い訪ねたもののもぬけの殻であった。全盲の長兄は全盛期には1日に300人の患者を診たといわれるほどの手かざし治療の秘儀を持つ人物であり、私の目的はそれを受け継いだ麻原がイニシエーションを施した相手から受ける負のエネルギーをどう浄化しているのかと、目の疾患(身体障害)がオウムの本質にどのような影響を及ぼしたかを長兄に会うことで知ることであった。
長兄に合うことが叶わなかった私は、釣りをしようと不知火海へおもむくが、ここで偶然に新たな疑問を持つことになる。麻原の目の障害は、チッソの水俣病が原因ではないかということである。また、この国から受けたとも言うべき宿命的な身体障害が世間へ対する憎悪となり、事件へ結びついたのではないかという仮説を立てる。この考えにとりつかれた私は東京に戻り、多くの資料を読み漁り、水俣病に長くたずさわった弁護士後藤孝典の著書を目にし、編集者の仲立ちで後藤に会い、意見を聞く。後藤は、麻原の目の疾患が国家や天皇への憎悪に結びつくことはありえないと一蹴し、不快感を示す。また、後に後藤からはこれ以上、麻原と水俣病の関係について書くことは許さないとの抗議を受ける。
後に奇遇なことから、私は大阪に潜んでいた麻原の長兄に会う機会を持つ。私は、長兄のアパートに一泊し、ついに麻原が幼少期に不知火海で水銀に汚染されたと思われる魚介類を多く食べていたことや、水俣病患者として役所に申請したが、却下された事実を聞き出す。八代では水俣病の申請を出すと「アカ」との風評が広がり、それ以上は戦わなかったこと、また、早川紀代秀が教団に入ってきてから麻原の態度が急激に変わったことなどを聞き出す。最後に、自分の目の黒いうちは話すな、と釘を打たれる。
・・・・・・・
これ以上は真偽定かならぬことながら、しかし雅子妃の祖父が直接の加害者ではないにせよ、事後処理の過程で凄まじく冷酷で、水銀に苦しむ患者さんたちを更なる地獄へと足蹴にして突き落とした人物であることは変わりがないわけです。救済の申請を出せばアカなどと、被害者側から出るはずもなく、加害者側すなわち江頭豊氏側からばらまかれた風評でしょう。時代と、地域性からしてアカ認定は村八分になるほどの、烙印だったのかもしれません。
汚いことをなさるものです。「貧乏人が腐った魚を食って病気になった」という暴言を苦しむ患者に浴びせかけたのも、江頭豊氏で、とてものことに団藤重光氏が詭弁を弄したごとき、「江頭氏は再建のため日本興業銀行からチッソに入った。再建できなければ被害者への補償も不可能になる」
という姿勢は、みじんもありません。結局チッソは日本国家から多大の援助を受けるわけですが、今また雅子妃が公費を無造作に湯水のごとく使われている状況を鑑みるに、祖父と孫二代に渡る因果という思いが脳裏をかすめます。
雅子妃の江頭豊氏への感想は「お祖父様が、酷いことを言われている」という
程度であったと、巷間伝えられていますが、もういい大人でいらっしゃるのだから、あの歴史に残る企業犯罪のトップとして後処理にあたった祖父の姿勢がいかなるものであったか、知ろうと思えば容易に分かるはずです。
なぜ、雅子妃とその伴侶であられる皇太子は、ご供養にと一念発起されないのでしょう。供養どころか、晩年の江頭豊氏があろうことか、皇居の散歩が楽しみと言い放ち、公私混同もいいところ、それをたしなめもせず、御所を大金かけて改修、バリアフリー、リフトエレベーターの設置。それが江頭豊氏のためとは断言はできませんが、当時東宮と雅子妃のお身の回りにそれが必要な高齢者は江頭豊氏と、せいぜいその妻(雅子妃にとっては母方祖母)しかいませんでした。
チッソ水俣は、日本の歴史に負のページを付け加えるほどの大事件でした。
まして、日本中を震撼させた後のサリン事件の、麻原彰晃もチッソの被害者だった可能性が濃いのです。雅子妃の祖父江頭豊氏が率いるチッソ側に、冷たくあしらわれたその怨念が、サリンに結実したという説もあります。
それが事実であるにせよ、ないにせよ・・・・・お身内の凄まじいまでの不徳をなぜ、放置なさるのでしょう。
秋篠宮両殿下は早々と、供養にお出かけです。
天皇皇后両陛下もこの間、お出ましでした。患者さんたちと真正面から向き合われ、言葉を交わされました。
天皇陛下御製
水俣を訪れて
患ひの元知れずして病みをりし
人らの苦しみいかばかりなりし
あまたなる人の患ひのもととなりし
海にむかひて魚放ちけり
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013101100036.html
「水俣はまだ終わらない」写真家が記録した“日常”
2013年10月15日 ... 翌年“帰郷”し、28年ぶりに「水俣よ、コンニチワ」となった。昔、歩いていた人が車椅子の世話になっていた。今年7月の滞在中にも胎児性水俣病の母親2人が相次いで倒れた。 10月9日から熊本で「水銀に関する水俣条約外交会議」が催さ ...
2014年、新たな年を迎え・・・・・しかし水俣病患者とその家族の苦しみはまだ現在進行形です。
供養にも出向かぬ皇太子と雅子妃よ、あなた方に人の心はおありではないのか。被災地は被災地で2年も放置、3度のドタキャン、行けばそそくさと10分間。
皇太子は国連の水の名誉総裁です。水の衛生について講演もされます。水俣は脳裏にないのですか。あなたの妃の祖父が加害者側の人間です。
清子様が愛子さまと同じ年齢で伊勢神宮に参拝なさっている画像があります。愛子さまは伊勢神宮はじめ、いっさいの神域に連れて行かれません。なぜなのでしょう。
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この時から、数十年後の伊勢神宮式年遷宮で、清子様が臨時祭主として、神と明らかにつながりながら、威厳ある祭主を務められたことを思うと感慨深いものがあります。むろん12歳以前にも御陵その他、両陛下は伴われているわけで、長じてからの神事も、幼いころから培われた素養と感性が必須です。
神域には御陵すら連れて行かれぬ愛子さまが将来の祭主であるとか、ましてや天皇陛下などあり得ないです。そういうことを主張する人たちは、神事を肌で理解していない、頭だけで論じる空理空論の論者です。愛子さまには、祭主はおろか、宮中祭祀を執り行う器はありません。天照大御神という巨大な天のエネルギーと真正面から向かい合い、また国が受ける苦難は全て自らの身を通したまえという、凄まじい請願を神域で述べるお方が天皇陛下という、我が国至高の神官なのです。
*コメ欄へのレスより転載
《即位の礼はどうするつもりでしょうねえ。
無理ですよ。一日延ばしに何か伸ばして宮内庁も政府も国民も見ないふりしてますが、その日は現実に来ます。
雅子妃が出来ないからといって、即位の儀式が行われなければ、それは「雅子妃により壊された宮中祭祀」の第一歩目ということになります。
学習院の伝統も壊しに壊して、この方は破壊のカルマをお持ちなのでしょうか。
>日々精進していないと、儀式の重みには耐えられない。神事というものは上手くできているものです
実に仰るとおりです。ある意味で『通過儀礼』なのです。そこをくぐり抜けられる者でないと、皇后にはなれない。・・・・今まで失格者はいないのです。
由々しきことです。
正殿の儀は、新天皇陛下の、高らかな国内外への即位宣言で始まります。
この隣に妃がいない?
世界100カ国以上から大賓客中の賓客が訪れる、日本国家としても一大イベントなのに、祭祀不能?
男女陰陽揃っての大神事が即位の儀です。
皇太子妃や皇后陛下に祭祀は必要ないなどという竹田恒泰氏などがいますが、大法螺吹きです。
宮中、いえ日本最大の神事、正殿の儀におすべらかし、十二単の新皇后陛下は必須ではありませんか。
神事もえんえん、それからパレードと続き、1日では終了しません。雅子妃には出来ません。もし出来るというなら、今、雅子妃は出来るものを出来ないと嘘をついていることになります。》
歴史の中の女帝は、それぞれ一代きり。あくまでも臨時のつなぎでしかありませんでした。今、秋篠宮親王殿下、悠仁親王殿下と、全ての条件を満たした男系がいらっしゃるこの時に、何の愛子さま女帝擁立論でしょうか。皇室簒奪の徒でありましょう。
以下は霊的話題になります。
新年のお立ち台に立たれた時の、霊的不浄が映し出された画像を別記事にアップしたところ、殆どの人がわかったようですが、一部全く見えない、という人がいたので、印をつけておきます。皆女性霊です。老婆・・・山姥みたいな・・・・。
以下霊写真、注意。
祝詞の音声が入った動画を添えて置きます。不安な方は流しながら見てください。末尾に昇り龍降り龍の龍神様画像をお清めに添えておきます。
なんどでも言いますが、面白がってこんな写真アップしてません。
宮中祭祀を怠る一家はこうなるのだよという警告と、それからこういう霊的に
不浄なお方が皇后陛下即位はあり得ないことを訴えたいからです。
陰のエネルギーで日本の運気を損ない、祭祀の途絶えは皇室の存在意義を
破壊します。皇太子と残念ながら愛子さまにも不成仏霊は憑いています。
皇居内の神域すらおろそかになさる、ご一家の必然です。
天皇陛下の最大のお仕事はこの国最高位の神官としての祭祀です。
それを、皇太子と皇太子妃とはどうしても、わからぬようです。
それも仕方がないのかもしれません、このお二方霊的感性は皆無です。
祭祀の意味が判らず、単なるおまじないに類する、無意味で大変な犠牲を伴う
皇居内の因習程度の認識ではないでしょうか。
祭祀が出来る霊的感受性は、天皇皇后におなりになる大きな資質の一つなのですが。お二人共にありません。
天津祝詞 あまつのりと
向かって右側、肩に隣接して、比較的くっきりとした顔。これは、多くの人が可視化できるのではないでしょうか。
継ぎはぎ墓。赤いろうそくは、浄土真宗。七回忌からの年忌や、お彼岸、お盆、月命日、報恩講などで使われる場合が多いです。
が・・・・
なぜ、小和田のご両親、雅子妃ご本人共に、数珠を持っていらっしゃらないのでしょうか。法要に出向くときは数珠持参、各家庭には数珠。日本人には常識のはずですが。雅子妃の頑ななまでの神域忌避と併せていぶかしいことです。
その自己主張が激しく、皇室への基本的敬意を欠く、他罰的で特異なメンタリティも。(合掌の仕方も不自然だとコメ欄で指摘がありましたが・・・・確かに)
廃太子廃妃を要望致します。
◎E-mail: information@kunaicho.go.jp.
◎住所: 〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1.
◎電話: 03-3213-1111 (代表).
首相官邸への要望
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
雅子妃の懈怠に公に懸念を示した、内閣官房・飯島勲氏 ↓
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/cas_goiken.html
過去記事
雅子妃と水俣病http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/460c9357a2d4e1f2453da747983860e9
水俣病と雅子妃
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/455f9ba2eb981b532a7461b1894a1cb4
霊写真で不調を味わった方は、この写真を見つめて、波だった「気」を鎮めてください。
こちらのブログさまから拝借した画像です。
h ttp://figureskateandsoon.blog.fc2.com/
奈良県の、丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)
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