言語能力が頭脳の全てではないけれど、この方の語彙の乏しさ、言語の整理能力の無さ・・・
よくまあ輝かしい学歴をこれで積み重ねられたものだと、感心するわけです。
これでは歌会始の御歌はいかにも苦痛でしょう。
画像はremmikkiさん経由ドス子の事件簿さんから拝借しました。
1997年12月 アラブで馬を貰ってしまい、運送に大騒動させたときの
珠玉のお言葉。
推敲しようと思ったのだけど、面倒くさいので・・・・、これ半分の言葉数にまとめられますね。
「皇太子殿下がお頂きになられた」?
「この馬、そしてこの馬が」
馬の不必要な連呼の次は、クワガタ連呼。クワガタさん、選挙に出るの? 的な。
1998年12月
2002年12月
これは短いから、推敲してみます。
「はい。そういえば年が明ければ10年目でございますね。
1月19日皇室会議で婚約を認めて頂いてから、もう10年なのかと、感慨深いものがございます」
自分の中では9年というのは不必要情報だし、結局、え、もうそんなに経つのかしら、というニュアンスなのだから、上記の推敲文で十分。十年一日も敢えておっしゃる必要も無し。頭に浮かぶ想念を咄嗟にテーマにそって組み立てて、
語るというのが不得手のようで、浮かんだ言葉をそのまんま口になさってますね。
「配慮していただいて、手配していただいて」
「公務などとのことで」
病気の子も多いのに、自分の子供は健康でよかった、という比べ方もいかがなものかと思うけれど、結局ブーメランだったじゃないかと、言われています。
有名な「外国行かせないから、子供産めっていうから、病気になったのよ」発言。
入内前の暮らしと比べて何か言われても、じゃあ皇室の暮らしに入る覚悟も
おありではなかったということなので、言われても困りますね。
世継ぎが必要なのも、事前に判って覚悟の上でなかったのでしょうか。
男子をなさなかったことで、国民が責めたことは一度たりとなく、
むしろ気遣って来たかと思うのですが・・・・・。
以下、雅子さま風言葉遣いで・・・・
そして、あの・・・たどたどしい会見から、会見というものから・・・ついには会見の、会見が中止ということになりまして、文書・・・・喋るのではなく書いて、文書での提出・・・・発表という・・・・いろいろ考え・・・・記者の方たちに会うのも、正直に・・・・あの、何と申しますか・・・・・愉快ではなく・・・・・文書を、書いて出すということに
なるわけですが・・・・。敬語も・・・・目上の方への言葉も使うことが、どちらかというと不得手で・・・・着物と同じように、日本語・・・・・日本の言葉も苦手で・・・・この程度の言語の能力ともうしますか・・・能力で外交を実はやりたくて、外交を将来は政治的意味での皇室外交のようなことをイメージしていらっしゃるなら、これは、親しいカマジイ様を通じて、皇太子殿下がお喋りになられていらっしゃったわけですが・・・・、夜郎自大とも、自信過剰とも、申しますが・・・・まぁ困ったものだ・・・・と思うのでございます。(ここで、上目遣いに口を歪める)
言葉遣いのいちいちをあげつらうのも、なんですが・・・他がしっかりなさっていれば、むろんこんなことはしないわけで。公務も祭祀も本当に出来ないものは国民は許しますとも。でも、嘘っぽさは敏感に感じるし・・・・「体調の波」で10年間、計20回園遊会欠席って、あり得ないし、家からちょっと歩いて出て、
奉仕団へお手振りがいっさいなし、も厚顔と言おうか・・・・・横・着。その程度のいい体調の波が1年に数回程度はあるでしょうに。要するに、余りにも身勝手な、その心根が嫌悪され始めていると思うのです。
敬愛できない皇太子や皇太子妃を持つ国民もつらいのです。
雅子様の詠まれた和歌
十一年前吾子の生れたる師走の夜立待ち月はあかく照りたり
んーーー???
十一年前、といきなり字余りで出て、その次も吾子の生まれたると、字余り連続・・・・は置いておくとして。
えっと、偉そうに講釈できるほどの知識はないのだけど、「立ち待ち月」って
確か「秋」の季語ですが・・・。師走とは併用出来ないですが・・・。
・・・・調べたら立ち待ち月は、陰暦8月17日の月です・・・・・、だから秋。
違ってます? こう堂々と詠まれて世間に発表され記録もされているので、
こっちのほうが不安になるけど・・・。
十一年前という数字が必要な内容でもないし・・・・・
季語を間違えてまで、「立ち待ち月」を使う必然性も無し。
これ、誰も注意する人がいないって・・・・・???
見捨てられているのか、うっかり注意したら、後が大変だったりして・・・・・。
字余りが必ずしもいけないということでもないのですが、「十一年前」は
(文字通り)余りといえば余りな、しかも字余りが2箇所。
師走なり 吾子を腕(かいなに)迎えしは、とでも始めたら収まりが
ついたのかもしれませんが、毎年毎年、自分の子ばかり
詠んで、素材をお変えください、と皇太子を通じて伝言もあったと
漏れ聞きますが、おそらく皇太子はお伝えではないでしょう。
わが子への愛しさから、震災で子を亡くした親、親を亡くした子へと
思いが広がる人としての優しさをお持ちなら、器量をお持ちなら、歌にも変化あり、震災1年目の月命日に御所で「お楽しみ会」を開いてはしゃぐごとき
人としてあるまじきこともなかったでしょう。民を思うどころか自分自分、
自分の子、自分の苦しみ、と心の狭いこと、やせ細っていること。
民思う皇后陛下にはおなりにはなれないでしょう。
何を動機に入内なさったのか・・・・・。
歌も十一年経過してもまだ、この腕前。と言うより、最小限の決まり事さえ身につけていらっしゃらない。いかに努力、勉強なさっていないかでしょう。
着物の着付けも所作も同じこと。
歌会始に何の意味があるか、祭祀・神事の必要性と共にお分かりでないし、
分かろうともなさらないのでは。
皇室の御役目の一つは、古(いにしえ)からの日本の文化を守り伝えることにあります。
トキのごとく絶滅寸前種の文化、を護ること。
皇后陛下は作業着で地味な養蚕に励んでいらっしゃいます。
歌会始めには、雅な日本の風習と、古語の保護、伝承の意味合いも
あります。語弊を恐れず言えば「日本のよき家庭を演じること」「しとやかな、やまとなでしこを演じること」が、お務めです。皇居は外務省ではありません。
なぜ、こんなにも簡単なことが、解らない、解かろうとしないのでしょう。祭祀や神事、歌会始めなどの皇室の伝統がなぜあるのか、お尋ねになるお気持ちすらないのでしょう。
皇室のもろもろが、ひたすら無意味で退屈で苦行なのでしょうね。
お出になられてはいかがでしょう。
皇太子殿下の語彙の乏しさも夫婦一対、破れ鍋に綴蓋状態。
何をご覧になられても「素晴らしいですね」が大体定番の使い回し。
「京都特別展」で、徳川慶喜が側近を集め、大政奉還の決意を述べたという二条城の広間を再現させた展示での感想は「きれいですね」。
・・・・・ずいぶん長い間国民は見ないふり、気づかないふりをして来たのだと
思います。小学生の絵日記レベルの言葉しかお使いになれないお方で
あるということを。
今日、ぼくはえんそくに、行きました。すばらしかったです。山がきれいでした。